【No.158】鬼婆

イリー・K

2014年10月19日 17:25



’64/日本/モノクロ/103分
監督・脚本:新藤兼人
出演:乙羽信子 吉村実子 佐藤慶 殿山泰司 宇野重吉


 沖縄県内各所に猛威を振るった台風「フォンヴォン」。今年最強と言われていたが、被害に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げたい。しかしながら台風天国などとも呼ばれる土地柄、慣れてしまっている沖縄県民が自宅でやることといったらもっぱらテレビやDVD鑑賞ではないだろうか。停電していなければの話だが。猛烈な風が吹きすさぶ中で私は2、3年前に『鬼婆』を見たことを思い出してしまう。

 こんなジメジメした日にはハリウッドの娯楽大作やアニメ映画などでスカッとしたいのが人情だろうが、この『鬼婆』ときたらジメジメすること山のごとしといった案配でモノクロ画面にキレキレの目張りがよく映えるドン・キング風ヘアスタイルの乙羽信子や、ムラムラが頂点に達し、深い草原を一心不乱にかけずり回る佐藤慶が脳裏によみがえる。

 1964(昭和39)年に作られたこの映画、タイトルからしてこの頃量産された怪談映画の響きがあるがそれらの類いとは一線を画し寓話的な狙いがあったのか登場人物は少なく、舞台は鬱蒼と茂った原っぱという限られた空間で実にシンプルな作りになっている。

 時は戦国時代。いつ終わるか知れない戦の中で落武者を罠にひっかけては殺し、鎧や武具を剥ぎ取って売りさばいて生計を立てる義母(乙羽信子)と娘が主人公。戦場から命からがら逃げて来た男(佐藤慶)を親子は食事を与えて迎えるが、共に戦った義母の息子は戦死したことを男は告げ、親子は落胆する。戦地から帰還したものの、やることは無く暇を持て余していた男はことあるごとに娘を誘う。最初は頑に拒む娘だったが次第に寄り添うようになり、夜な夜な眠りに落ちた義母の目を盗んでは逢瀬を重ねる仲になる。それに気付いた義母は働き手の娘を取られる恐怖と嫉妬を募らせていく。

 今回紹介するにあたってネット検索してみたところ本作はホラー映画として位置づけされているようで、かの『エクソシスト』のウィリアム・フリードキン監督もホラー映画として絶賛しているという。そうだったのかぁ。私にはそんなふうには思えなかったんだが。確か先述のタイトルにしたってそうだし、あの終盤はホラーといってもいい展開だ。
「母」と「女」の自我の狭間で自らの胸をもみしだく乙羽信子もある意味ホラーかもしれない。しかし私には監督である新藤兼人の数々のフィルモグラフィから醸し出される硬派なイメージからはおよそ結びつかない。

 新藤監督の映画といえば、社会問題(『ブラックボード』等)とか老後問題(『午後の遺言状』等)を扱ったり、そして何より原爆を始めとした反戦というキーワードは切っても切り離せない。『原爆の子』しかり『さくら隊散る』もしかり。遺作となった『一枚のハガキ』も紛れも無い反戦映画であった。

 この『鬼婆』は数少ない時代劇であり、ホラー(っぽい)形態をとってはいるが、全く形を変えた反戦映画であると私は捉えた。本作が一貫して描かんとするところの「戦争は不毛である」というのは手に取るように分かるのだが、それ以上に感じたのは「戦争によって文明は抑圧され、文明を謳歌できなくなった人民がすることは窃盗と殺戮と魚釣りとセックスである」ということである。今のように娯楽がほとんどないあの時代、田畑を作って自給自足を築こうにも、戦災ですぐ破壊されちゃうし、寝る以外に時間を潰す術がない。そばに異性などいたら、そういう欲求に駆られる心境になるかもしれない。

 戦争が起こり、それが混乱を究めるほど無政府状態となり、人間が持つ性欲、食欲、睡眠欲とあらゆる欲が野ざらしになり、ろくでもない運命を辿る。たった3人の登場人物が織りなす、戦争の成れの果ての世界を見る者に突きつけてくるのである。


評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

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