【No.155】新幹線大爆破
’75/日本/カラー /152分
監督:佐藤純弥
出演:高倉健 千葉真一 宇津井健 山本圭
別の項で書いている通り、私が幼少から小学生の頃送った映画生活は邦画とはほぼ無縁であった。それは「邦画を観るのはダサい」という偏見きわまりない観念が招いたものである。実際に劇場まで足を運んだのは『マリリンに逢いたい』ぐらいで、あとはテレビでチラっと見る程度のものだった。そもそもこんな観念を植え付けられたのは東映映画である。だいいち、あの社の提供バックからしてダサい。七色に輝く光の中央にロゴが配された東宝、流れる雲の奥に富士山が聳える松竹に対し、ただの岩しぶきである。小学2年生まで営業していた胡屋琉映には東映ヤクザ映画の旧作が度々上映されることがあり、劇場の前で通りかかる私の目に飛び込んでくるのはドスを持ったイカつい顔つきをした男たちの集団や切腹をして血まみれの組長などが示されたポスターや儀式で盃を交わす紋付袴の幹部が写ったスチール写真である。かと思えば新作でかかるのは『パンツの穴』や『ビー・バップ・ハイスクール』。う〜ん、ダサい。その上泥臭い。そのあと通った洋画専門館ゴヤオリオンに貼り出されるスピルバーグなどのハリウッドの大作は幾分か華やかに見えた。この対比もあって邦画にはかなり敬遠させていったのである。東宝や松竹は見ても80年代には東映は1本も見ていない。いや、90年代も無かったかも。
21世紀に入り、いくつか歳を重ねていろんなものを見てきたつもりなんでいまでは洋画、邦画、映画会社など分け隔てなく見られるようにはなったが、東映が黄金時代を築いた一連のヤクザ映画は『県警対組織暴力』以外はまだ見ていない。こんな私がこういうことを言うのは憚れるが、かつて大手とされた映画会社のなかで後発であった東映は手に負えない末っ子というイメージがある。その子がいちばんヤンチャをしていたのが70年代。『仁義なき戦い』シリーズなどの実録ヤクザものや『トラック野郎』シリーズと大暴れする中、わりかし他の兄弟たちはおとなしい。特撮モノに堅実な東宝に、寅さんやミステリー小説に固執する松竹、そして長兄日活に至ってはロマンポルノにうつつを抜かす始末で末っ子の暴れっぷりが目立つ目立つ。おそらく70年代の邦画が持つおおよそのイメージは東映映画に集約されるだろう。さすがに東映一色とまではいかないが、それほど影響力があったのは確かだと思う。急に被写体となる人物の顔にクローズアップする画や、目がチカチカすること請け負いのタイトルバックに真っ赤な筆文字など70年代の邦画と聞くとそういったビジュアルが目に浮かぶ。泥臭さをまき散らしながら70年代を駆け巡ってきたヤンチャ坊主・東映だが、ヤクザや下品なエロネタ満載なプログラムピクチャーばかりをやっていたわけではない。真っ当かつ正当な娯楽作を作っていたこともある。94年にヒットしたキアヌ・リーブスの『スピード』の元ネタといわれる『新幹線大爆破』がそれである。バスか新幹線の違いだけで仕掛けられた爆弾の仕組みは一緒。一度発車すると、ある一定の速度から落ちると起爆する緊張感で引っ張るんだが、事態を知ってパニックに陥る乗客たちの人間模様、身代金を要求する犯人と当時の国鉄との駆け引き、ハリウッドがパクっただけあってなかなかの見応えだ。で、その犯人役なんだが何と高倉健。健さんが犯人役なんて想像がつかないが、そこは大看板スターとして擁している東映である。当然主演として据えるし、単なる悪役ではなく犯行に及ぶ犯人の背景まできっちりと描かれている。しかしながらこの映画がもつ不思議なところは紛れも無い「健さん映画」であるにもかかわらず、なぜか健さんの印象が薄い。乗客たちや国鉄・警察関係の人間など色んな人間が出ているせいでもないし、脇役を立てるという健さん流の心配りでもない。これは国鉄司令室室長役の宇津井健と室長からの指令を受け新幹線の運転を続ける青木役の千葉真一にある。
そもそもこの映画の存在を知ったのは関根勤がラジオ「コサキン」にて度々披露していた劇中の二人のモノマネによってであった。宇津井「青木く〜ん、列車を〜とめるんだぁ〜」千葉「あーなたは何をいっているんだぁ〜!!」というこのやり取りはお笑い的なデフォルメが過分に盛られているものとずっと思い込んできたのだが、実際映画を見てみたらそのまんま。だから宇津井・千葉パートだけは爆笑。健さんは寡黙で物静かないつもの演技なもんだから、この二人のアドレナリンほとばしる演技のおかげで浸食率が半端ないのである。健さんがかすんで見えてしまっているのはモノマネが媒介する余地もない二人のオーバーアクトに対する驚きかもしれない。
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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