【No.165】時代屋の女房

イリー・K

2014年12月31日 23:56




’83/日本/カラー
監督:森崎東
出演:渡瀬恒彦 夏目雅子 沖田浩之 藤田弓子 藤木悠 津川雅彦 平田満
 名だたる映画の巨匠たちを見倒さないで何が映画フリークだと、それを自称してブログを続けている私としては身にしみることが多々ある。1本も見ていない未開拓の巨匠なんてのはまだまだいて、ヴィスコンティやヘルツォーク、ゴダールやトリュフォーなどのヌーベルバーグ作家にも誰一人として手をつけていない。実を言うと以前紹介した『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は私にとっての初ジャームッシュだった。日本では山本嘉次郎や吉村公三郎、斉藤寅次郎他多数。

 そんなわけでここ最近は時間を見つけてはDVDを借りるなり、CSで放映される作品をチェックするなり、「見るべき巨匠」の開拓に明け暮れている。まぁ「時間を見つける」ほど多忙ではないんですが。しかし国を問わずランダムに選ぶのはちょっと面倒な気がするので、まずは日本からということで森崎東を追いかけ始めている。以前紹介した『ペコロスの母に会いに行く』を観て以来さかのぼって代表作のひとつとされる『時代屋の女房』を見てみた。

 骨董品屋「時代屋」の主人(渡瀬恒彦)とある日出会った女(夏目雅子)の色恋を主軸にして、肩を寄せ合うようにして生きているその他市井の人々の人情を織り交ぜながら進んで行くといった内容の作品。映画は主人と女の出会いの場面から始まる。

 銀傘を差しながら時代屋に現れた女は野良猫を抱えている。すぐそこの公園で拾ってきたというその猫を女は初対面の主人にホイと手渡して「預かってもらえませんか?」と頼み込む。それから店内に並ぶ年季が入った品々に興味を示し主人と話が弾み、主人の居住エリアに上がり込みそのまま住み着いてしまう。どうだろうか、この導入部。現実的に考えてみたら奇怪な女である。何かの詐欺かと怪しむのが普通だ。これが泉ピン子とかだったらすぐさま追い払って映画は即終了である。

 しかし、これは観賞後によくよく考えてみれば気づいたことであって不思議なことに初見時は何ら違和感なく見ていられたのである。それはやはり演じた夏目雅子の力によるところが大きいと言わざるを得ない。さらに女のヘンなところはそれだけではなく、家出癖があって伝言を残して突然姿を消してしまう。これを何度か繰り返すうち完全に失踪してしまう。この劇中での不在の間に漂う喪失感というのは、まさに現実にも演じた本人がこの世にはいないことに見事にリンクする。私たちは映画やドラマを見ていると、そこにいる演じた役者の実生活をちょっとでも知っていると、それとどこか重ね合わせて見てしまうことがある。それが夏目雅子となると妙な切なさがこみ上げてくるのを禁じ得ない。皮肉なことではあるが、早世してしまう役者ほど作品に付加価値を与える存在は無いのだ。

 そんな神秘性を帯びた夏目雅子に目を引かれたせいなのか、総合的にはさほどピンと来るものは無かった。村松友視の原作は直木賞を受賞し、映画も当時は批評家筋では評価が高かったらしい。

 元雑誌編集者であった原作者の他の著書は1冊も読んでいないし貶すつもりも毛頭ないんだが、この話というのは一部では「大人のファンタジー」と持て囃されてるらしいけど、これって中年オヤジが好みそうな願望を大いに含んだ妄想ストーリーではないかと思えてきた。

 今はどうだか知らないし、原作者の趣味から派生しての設定だったのかはわからないが、主人が営む骨董品屋って会社組織に属し、あくせく働く中年オヤジが脱サラしたらやってみたい理想の職業ではなかったのかと想像する。実際はどうかは知らないし、あくまで私の見解なのだが、骨董品屋って悠々自適にやってる職業のイメージがある。しかしセンスが問われるしそれ故ステータスがある。だが収入は良くてもトントンでそんなに稼げないけど食うには困らない。本なんか読んで一日中店番してたまに外出するのは配達か競り市ぐらい。でっかくベンチャービジネスの起業家なんかではないところに社会人教育仕込みの謙遜を感じる。そこに映画の冒頭のような美女が突然現れてその日のうちに関係を結ぶ。そんな願望を具象化したのがあの原作ならびに映画ではないのかと思うのだ。そらもう小説や映画を楽しんだあと一杯やるとなりゃあデへへであろう。


評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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