【No.136】箱入り息子の恋
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’13/日本/カラー /117分
監督・脚本:市井昌秀
出演:星野源 夏帆 平泉成 森山良子 黒木瞳 大杉漣 穂のか
今さら言うことでもないんだが、いま、日本で叫ばれている問題で、深刻の一途をたどっているものと言えば未婚、少子化、そして高齢化。因果関係にあるこれらの問題が肥大しながら廻り続ける状況が日本に重くのしかかっている。これはまずい。遠い将来が心配だ。むかしテレビで細木数子が言ってた「日本はいずれ国家がなくなって難民となる」というのはあながちウソじゃないかもしれん。ふと思い出したことを書いてみた私は30半ばの独身。「肥大」に大いに加担している一員なわけで、こんな戯れ言とか言ってる場合ではないだろう。
今日紹介する『箱入り息子の恋』の主人公・健太郎(星野源)もその同じ一員である。お役所務めで住まいは実家の35歳。友達や恋人はおらず人付き合いは一切しない。一日きちんと仕事を片付け、定時が来れば一直線に住まいに帰り趣味に没頭する淡々とした日々を送る。いわゆる「パラサイト・シングル」な状況を見かねた両親は彼には無断でお見合いを決行するのだが。
定職に就いていない所以外、どこか似ているこの男にシンパシーを感じないわけがない。その男がお見合いを通じて初めて「恋」を知るっつーんだから、その顛末を見てやろうじゃないかとなぜか勢い勇んで劇場に出掛けたんだが、いやぁ、この男の初めてゆえの不器用な恋の奮闘ぶりには身につまされるところがあったり無かったり。お見合いなどしたことがない私でもどうも居たたまれなくなったのはやはり本作いちばんの名シーンといえる両家のご対面の場だろう。
初対面ゆえの緊張感が張りつめる中、目も合わせられずただ黙っている健太郎に変わって質問に答える父に略歴を見て快く思っていない見合い相手の父は娘を守れるのかと容赦ない攻撃を次々と健太郎に浴びせる。しかもその見合い相手は盲目というハンデを背負っていると来た。緊張感はいっそう高まる。私があの場にいたら失禁寸前に陥るんではないかというあの場で放った健太郎の一言はよく言えたもんだなぁと思う。会社の社長である見合い相手の父は「役所のぬるい仕事をこなすだけのダメ男」という点に照準を絞って追い込まれ、抗う術が無いかに見えた健太郎は「僕はここでは終わらない」というささやかながらも持っていた闘志が爆発してのあの一言である。そしてそれは自分を変えようとする意志が芽生える瞬間でもある。しかしそれがちょっと変な方向へ走っちゃったのか、どうも解せないのは終盤でのまさかのあの行動。「毎度おさわがせします」じゃないんだから。止むに止まれぬ気持ちで走っちゃったのはわかるんだけどあそこまでに駆り立てられるものなのか。まぁ初めてづくしの経験だから極端な行動しか思いつかないというのはあるんだけれども。
さて、ここから先は鑑賞後考えられずにはいられなかったところを挙げたいんだが、未見の方はご遠慮願いたい。いや、ネタバレに繋がることではないんだが、「そういう映画なのか」と先入観を植えかねないので。
どんな映画であれ必ずや制作するに至った動機やきっかけなどの“出発点”がある。それは、映画化に見合う小説や事件、ゲームなどに出会ったりだとか、ただ単純にこの人を主演にしてヒットさせたいというあまり感心しないものだってあるだろう。プロデューサーや企画者の心を映画化に突き動かす事象はさまざまである。
この映画においても先述のあらすじから想像するに「結婚適齢期真っただ中の草食系男子に勇気を」「男子たるものいつまでも殻に閉じこもっちゃいけない」「生きるにはあまりに無欲な男にハンディを背負った美女をくっつけたらどうなるか」などが浮かぶが、私はまさかとは思うけどこれがいちばん大きいのではないんだろうか。それは「星野源はカエル顔である」。
誰が気付いたのか知らないけど、これからますますの活躍が期待される有望な歌手兼俳優になぜこれを思いついたのか。私だけ「確かに歌はうまい」程度で顔は認識していなかっただけでみんなはすでに気付いていたのか。主人公が飼っているカエルをどう見ても同じように見立ててるとしか思えない。終盤、まさかの行動の末のあのザマはもうカエルそのものにしか見えなかった。私にはちょっと悪意があるのではとすら思えたんだが。
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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