’87/日本/カラー /104分
原作:楳図かずお
監督:大林宣彦
出演:林泰文 浅野愛子 南果歩 尾美としのり トロイ・ドナヒュー 三田佳子 小林稔侍
ただひたすらつまらない映画を見たら、怒っていればいつかは冷めて落ち着くのでいいのだが、どう受け止めたら良いのやら困惑する映画に出くわしてしまうと、怒ることなど忘れて「今見たのは何だったんだ」という感慨にふけるあまり、ねっとりと脳内にへばりつき、後遺症を残すことになる。
以上の書き出しを読まれた方は、今日お届けする『漂流教室』は面白い映画ではないんだなとお思いだろう。一概には否定できないが、面白い映画と言っていいものか。かと言って声高につまらないとも言えないし。そうやって自問自答するほどに心的ダメージは大きいのである。もうこれは事故に遭ったと言ってもいい。
事故が発生したのは某日の深夜。寝床に就く前にニュースでも見ようかと何とはなしにテレビを点けたらCSチャンネルで『漂流教室』が。
楳図かずおの同名漫画を大林宣彦監督が87年に映画化した本作。「尾道三部作」で有名な大林監督だが、私が見たことがあるのは宮部みゆき原作の『理由』(‘05)ぐらいで作風についてはあまりよく知らない。楳図かずおにしても漫画は読んだことは無く、知っているのはテレビでマイケル・ジャクソンの「スリラー」を踊ったり、チアリーディングすることから、バイタリティがあるのは創作活動だけではないことくらい。さして興味は無い監督と原作者であるのに、この映画に食指が動いたのはなぜか。それは東宝東和の映画だからである。
東宝東和は映画配給会社で、『サスペリア』(‘76)の名コピー「決してひとりでは見ないでください」で映画をヒットさせて以降、80年代に入り海外のSF、ホラー映画を買い付けては国内で大宣伝を繰り返していた(のちにこれらは、見かけ倒しのハッタリ宣伝だったとして語り草となる)。その作品群は『バタリアン』『デモンズ』『ガバリン』『ザ・ショックス』(これはドキュメンタリー映画だが)『パラダイム』『ゼイリブ』など、当時SF・ホラー映画しか見ない馬鹿ガキな私にはどれも鑑賞欲を大いに刺激するものだった。
そのなかの1本『漂流教室』は結局見ることは無く幾数年。今、まさにテレビで始まろうとしている。『プロジェクトA2』と併映だったあの頃を思い出し、色めき立った私であったが、これが後の祭りとなった。
この映画、冒頭からして既にツラい。主役の少年がシャワーを浴びながら英語の唄を口ずさんでいる。ごく普通の家庭に有り得そうな朝の光景だが、唄っているのが、ストーンズやKISSあたりの中学生男子がかじりそうな洋楽ではなく、アメリカの唱歌。そして裸のままシャワールームから飛び出し、母親役の三田佳子にセクハラまがいのチョッカイをかける。無名の女優ではなく三田佳子っていうのが今見ると何か意味ありげで、見る者をやきもきさせる。
すぐさま叱る三田に反発する少年は仲違いしたまま登校。このあと第2のツラい波が待ち受けている。帰国子女である少年が通っているのはインターナショナルスクールである。だから生徒や先生は大半が外人。登校時、先生生徒らが集いし校門では、日本人には馴染めないアメリカンなスキンシップが展開される。そして教室での出欠確認の際、マドンナ先生の婚約を生徒が言いふらし、場内は祝福ムードに。なぜか1人が歌い出し、いつしか生徒全員の大合唱となり映画はミュージカル調に。容赦なきツラい波にリモコンに手をかけようとしたところで、激しい閃光と地震が学校を襲い、事態が収まると学校の周辺一帯は砂漠。そこは人類が滅亡した未来世界であった。ここから映画のメインとするところのサバイバル劇が始まるのである。開始10分足らずでけっこう疲れてるのに、“さわり”ではないとは、一筋縄ではいかない映画である。
巨大昆虫に食い殺されたり、教師はある者は犠牲に、ある者は学校から去り(職務放棄だろ)、絶望的な状況が続く中、残された生徒たちは分裂、結束を経てこの世界に一から人類社会を築き上げるべく立ち上がる。それでも絶望的であるのに変わりはなく、相反して肌の色が違う子供たちがどういうわけか白い衣裳を身にまとい空を見上げている。「We are the world」よろしく博愛主義的雰囲気のなか奏でられる主題曲「野生の風」(Song by 今井美樹)が耳に心地悪い。曲自体は良いんだけれども。
しかしまぁ何だろうか見終わったあとの放心状態に似た感覚。過去にも味わったことがあるなぁと記憶の糸を引っぱってみると出てきたのは丹波哲郎の『大霊界』であった。死んだあの世と何年先かわからない荒廃した未来。2作に共通しているのは絶対に有り得ないが、どこかで地続きになっているような世界を扱っている点だろう。そんなことあるわけないけど、いつかは己の身にもやってくるかもしれない。この「かもしれない」が私の心をかきむしるんだと思う。
そしてもうひとつ考えざるを得ないのは冒頭だけで疲労困憊にしてくれた「インターナショナルスクール問題」。原作の大和小学校(ごく普通の小学校)から改変された設定であり、原作ファンから非難の的のひとつになっていたらしい。この問題からは当時、苦境にあえいでいた日本映画の苦肉の策があったのではないかと推測される。
当時の日本映画は伊丹十三の独壇場以外はにっちもさっちもいかない状態で(話題だけのホイチョイ・プロもあったが)、ハリウッド映画などに押されっぱなしだった。制作費などとても真似できないから、せめて外人呼んどけば多少は映画に箔がつくという思惑があったのではないか。劇中のセリフは半分以上が字幕付きの英語だし、スタッフロールはすべて英語。そして当時のチラシには「日米共同プロジェクト」という宣伝文句。要するにハリウッド映画に行きがちな観客を釘付けにさせるための目くらましである。実際当時、まんまと宣伝に釘付けにされた私がいるし。本作だけに限らず80年代から90年代初頭まで、こういう目くらましを盛り込んだ日本映画はキラ星のごとくあったのである。
たった一夜の事故から、いつもより倍近くの今回の文字数になるとは思わなかったこの『漂流教室』。残念ながらDVD化はされておらず、レンタル屋へ行っても置いていないので悪しからず。それでも見たいという奇特な方は、VHSも豊富な「ビデオ1」へどうぞ。
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