てぃーだブログ › 激烈シネマニアン!

2012年01月04日

【No.111】スペース・バンパイア



’85/イギリス/カラー /116分
監督:トビー・フーパー
脚本:ダン・オバノン、ドン・ジャコビー
出演:スティーブ・レイズバック、ピーター・ファース、フランク・フィンレー、マチルダ・メイ


 映画のなかの世界では、いろんな異星人(エイリアン)が現れては消え、時に人類へ侵略を仕掛け、絶滅寸前まで追いつめたりしている。侵略する手はいろいろあったが、最近では『インデペンデンス・デイ』の亜流みたいなものが横行する傾向にあるようだ。宇宙船に乗り大挙して地球へ押し入り、対する人類側も軍を動員し、地球の未来を賭けて戦いに身を投じる。攻める異星人に守る人類。両者にはお疲れさまと言ってあげたい。

 しかし、このような武力を持たず、いとも簡単に滅亡寸前まで追いやってしまう映画が四半世紀前に公開されている。『悪魔のいけにえ』で名高いトビー・フーパー監督の『スペース・バンパイア』がそれだ。

 ハレー彗星を探査中、失踪していたイギリスの宇宙船が突如現れ、捜索隊が救助に向かう。しかし、船内の乗組員は全滅していた。が、透明なカプセルに覆われた全裸の女性(イラスト参照)を発見し地球に持ち帰る。こいつが異星人なわけであるが、タイトルに“バンパイア”とあるように、こいつとその他の仲間たちは人間の血では無く精気(エネルギーのようなもの)を栄養源にする。監視の目を盗んで異星人は全裸のまま男に近寄り、男が鼻の下を伸ばしたところで精気を一気に吸い取り、見るも無残なミイラの状態にしてしまう。しかも男はそのまま息絶えたのかと思いきや、別の人間から精気を吸い取り元の状態に。「ふえるワカメちゃん式蘇生法」とでも呼ぶべきか。しかし2時間が経過すると精気は消費され再びミイラとなり別の人間を求めるようになる。こうして連鎖的に被害は拡大し、首都ロンドンは大わらわとなる。被害の発端である異星人は全裸のまま姿をくらまし追跡が始まるのであった。

 攻撃能力がある宇宙船や武器を駆使して人類にしこたま攻撃するなんて労力使うより、ストリーキングするだけで人類の命を奪う方がかなり高度で、なおかつタチが悪い。異星人にそれほど負担はかからない省エネ侵略だ。それもこれも全裸の異星人が万人の殿方がひっかかりそうな見事な容姿のおかげである。「こんなイイ思いするんだったらミイラになってもいいよ〜ん」と思われても仕方が無い。

 カテゴリーとしてはこの映画、SFホラーと位置づけられているが、「科学的にはありえないものを見せる」ことがSFのひとつの定義とするなら、その点においてこの映画は非常に高い水準にあると思う。同じくSFホラーで「侵略」「異星人」「全裸の女性」といえば、自ずと『スピーシーズ/種の起原』(‘95)が思い浮かぶ。子孫を残したいが為に次々と男を誘惑する異星人の話。あれもなかなかのものだったが、SFとしては本作よりは劣っている。『スピーシーズ』のほうも、これまた見事な美女に化け、普通の人間のように色仕掛けで男を誘い、部屋へ連れ込んで事を成したあと男を殺す。これは異星人を除けばSFでもなんでもない。しかし『スペースバンパイア』はどうだろう。異星人の存在だけではなく、命の奪い方がいかにSF的かおわかりいただけるだろう。ただ無残に血しぶきをあげて殺されるのではなく、肋骨の本数がわかるほどシワシワにされるのである。そして何よりあんな全裸の女性がうろつく画ズラ自体がもはやSFと呼んでいいのではないか。そんなSF的感動を与えてくれたマチルダ・メイには心から拍手を送りたい。

 あまりに感動し、最近の姿が見たくなったのでYoutubeで調べてみたら、アニータみたいな姿になっていた。四半世紀という時の残酷さは胸を熱くしてくれたSF的感動をいとも簡単に打ち砕いてしまったのだった。



評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

===================================================

名刺、ウェルカムボード等のイラスト、その他の依頼はこちらまでどうぞ

campus@nirai.ne.jp

====================================================  

Posted by イリー・K at 09:00Comments(0)TrackBack(0)【す】

2011年11月08日

【No.110】パラノーマル・アクティビティ



’07/アメリカ/カラー /86分
監督・脚本・制作:オーレン・ペリ
出演:ケイティー・フェザーストン、ミカ・スロート、マーク・フレドリックス


 これは全世界共通なのかはわからないが、少なくともアメリカの自主映画で多く作られるのはホラーらしい。「予算が安くて済むから」なのだそうだが、昔から金と手間ひまが最もかかるのはホラーだとばかり思い込んでいた私には、どこがどう安くて済むのかよくわからない。しかし現実には、わずか日本円で3千円余りで作られたらしい『コリン』というゾンビ映画がちょっと話題になったし、それに加えて近年、撮影機材が手軽に使えるようになったということもある。かつては露光計で被写体とキャメラの距離を計り、キャメラのレンズを絞ってフィルムを回し、音声はマイクを調節したりと手間の連続だったものが、今では20万もしないデジタルカメラとパソコンの編集ソフトさえあれば、そこそこのものは撮れる時代である。結婚披露宴なんかで流される余興ビデオを見るとそれがよくわかる(もちろん出来はピンからキリまであるが)。

 だが、そんな時代にあって懸念してしまうのは、映画(ビデオ作品も含む)製作の手軽さに比例して、内容もこれまた軽くなっていくという問題がある(もちろんすべてとは言わないが)。ビデオ上映会や結婚披露宴など個人レベルでお目にかける分には問題ない。これが観客から金をせしめて劇場にかけ、さらにはDVD化してレンタル屋やセルショップで金をふんだくる現実がある。それを象徴したような映画が先日第3弾が公開されたばかりの『パラノーマル・アクティビティ』だ。ケーブルテレビで見た私があんまりエラそうには言えないが、こんな愚作は人からお金を巻き上げてはいけない。

 夜な夜な超常現象に悩まされている夫婦が夫の提案により、就寝中の寝室や普段の生活などをビデオカメラで逐一撮影し、その正体をつきとめようとする話を、その映像だけで綴ったフェイクドキュメンタリー(モキュメンタリーとも言う)の形をとって描いている。制作者側の意図をとやかく非難することはできないが、ワンシーンごとに手持ちのカメラで延々撮影する手法は、通常の劇映画で行われるカメラ位置の設定やカット割りなどをあまり必要としない分手っ取り早い。だからといって何の苦労もないわけではないが、足かけ5年もかけて作ったという『死霊のはらわた』の苦労に比べれば天と地の差がある。

 名前は忘れたが、ある映画プロデューサーの講演会で聞いた話である。飛行場に停められた旅客機の映像がある。飛行機マニア以外の人には別段目を引かない映像だが、これに「この旅客機はハイジャックされています」というテロップを入れると、とたんにほとんどの人は杭付けになる。「この先、何かが起こる(かもしれない)」ことを暗に伝え、見ている人の興味を引かせるわけだ。この作用を利用して映画は夫婦のどうでもいい生活や、ありとあらゆる揉め事などをダラダラ見せて、この先起こる「何か」をエサに終盤まで引っぱっていく。で、そのエサの正体は怒るのも野暮になるくらいヒドいものだった。いや、正体ではないかあんなものは。どうせ最後の最後に軽くCGでチョチョイとこしらえるんだろうと見る前から予想できたことだし、あんなエサにお金を落とした方々には心からお見舞い申し上げたい。

 本国アメリカでは、上映館数が少ない小規模公開であったものが、評判が評判を呼び、一気に規模が拡大。大ヒットに至ったというのが、公開当時の触れ込みであった。“評判”の元は何なのかという逡巡はせず、触れ込みに引っかかったこの手の映画といえば、やはり『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が思い浮かぶ。海の向こうにある評判など当てにならないことは、あのとき思い知ったはずである。確か、書き込みなどによるネットの力を駆使してヒットに繋げたと記憶している。“評判”といっても名作が名作たり得る時代だった頃とは違うのだ。今回の“評判”も巧妙な何かが働いていたはずで、これが功を奏して続編まで作られる世の中となると嘆かずにはいられない。もういいかげん実体の無い“評判”に抗う術を我々は持つべきだ。そして3度目の試練のときを今迎えているのである。


評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 01:00Comments(0)TrackBack(0)【は】

2011年10月30日

【No.109】猿の惑星 創世記(ジェネシス)


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’11/アメリカ/カラー /106分
監督:ルパート・ワイアット
出演:ジェームズ・フランコ、アンディ・サーキス、フリーダ・ピントー、ジョン・リスゴー、
ブライアン・コックス、トム・フェルトン


 SF映画の名作とされる『猿の惑星』が公開されたのは1968年。その後73年まで計5本のシリーズが作られた。当初、シリーズ化を視野に入れていなかったせいかシリーズが進むにつれ、話は強引な展開になっていった。映画のキーパーソンである猿夫婦が人類が繁栄していた頃の過去へタイムスリップし、人類から好奇の目にさらされ、虐げられながらも生まれた子供が成長したのち、人類へ反乱を起こす。このあらすじが第4作『猿の惑星/征服』として描かれているが、現在公開中の『猿の惑星 創世記』はこれにあたる・・・と、完全にリメイクという体で書き進めたら、この監督リメイクではないと言ってるらしいではないか。舞台が違おうが、猿がすべてCGであろうが、オリジナルよりリアル感が増していようが、猿が支配者の人間に反旗を翻すというプロットが共通している点で、すでにオリジナルではないのは明白である(猿の名が同じ「シーザー」だし)。

 たまに、誰の目から見てもリメイクだとわかるのに、当の制作者(監督)がリメイクではないと言い張ることがある。既存のものを作り直す「リメイク」ではクリエーターの名に恥じるということか。10年前にティム・バートンも「リ・イマジネーション」とか言ってごまかしていた。作り直し(=リメイク)と再創造(=リ・イマジネーション)では、後者のほうがクリエーターの務めとして上ということなのか。そんなご大層なポリシーを持ち出さなくても映画が面白ければ、リメイクでも良いではないかと私は思うのだが。でもどっちらけに終わったがな、あの映画。

 リメイクなのかどうなのか云々はさておき、『猿の惑星 創世記』もティム・バートン版と同じく、オリジナルと比較される宿命を背負って、我々の目に触れることになったわけで、期待以上のものは感じられなかった。反抗心から芽生えたリーダーシップによって仲間たち(猿)を奮い立たせ、銃を手に人間たちに立ち向かって行くオリジナル版のシーザーがどうしても頭にあるものだから、それに至るまでどのような展開を見せるのか、映画に対する大きな期待はそこにかかっていた。

 先でも言ったように本作の猿はフルCG(シーザーは、れっきとした俳優が画面上で“猿”として反映できるボディスーツを着て演じる「モーションキャプチャー」なる技術を用いている。その他、大勢の猿たちも同様かは不明)で姿かたちから動きまで実にリアルにできている。俳優が顔にメイクを施して猿っぽい動きをしているだけのオリジナル版が笑えるほどである。それだけに反乱に至るプロセスもリアルに見える。最初からベラベラ喋るシーザーにウホウホと猿たちが応えるようなアホさ加減はない。だが、そのリアルさゆえに、ただただ納得するだけの自分がいた。劇中に登場する新薬など実在しないし、あんな事態は起こりえないけど、そうかもしれないねと序盤へ向けて盛り上げようとする映画に反して、ボルテージが上がることもなくスクリーンを正視するだけだった。旧作では核戦争だった人類滅亡の原因が差し替えられているのにも納得。キューバ危機の記憶も新しいあの頃とは違うからそっちのほうが今の時代にはリアリティがある。教養的な要素を抜いた「ディスカバリーチャンネル」を見てるような気分である。

 ただ、納得いかないのは映画のスポットCMである。納得しまくったあと、家に帰ってたまたま点けたテレビで目にしたのだが、「マイベストムービーです」には我が耳を疑った。一過性のもんだから映画会社(日本支部)は好き勝手に作ったんだろうが、いくら旬の人である澤選手でも言わせちゃいけないことがあるだろう。『GOAL!』や『勝利への脱出』(古すぎる)とかならわかるが、これをベストムービーにしてしまったら、今後のイメージを左右しかねない。どんなにサッカープレーヤーとして輝かしい功績を残しても。サッカーにさらさら興味が無い人には「でも、この人の生涯最高の映画は『猿の惑星』」というイメージが付いてまわるかもしれない。お節介ながら澤選手の今後がちょっと心配だ。



評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 20:42Comments(0)TrackBack(0)【さ】

2011年09月27日

【No.108】ハンテッド(’95)




’95/アメリカ/カラー /110分
監督・脚本:J・F・ロートン
出演:クリストファー・ランバート、ジョン・ローン、ジョアン・チェン、
原田芳雄、島田陽子、夏木マリ


 『ハンテッド』といえば、03年に公開されたトミー・リー・ジョーンズ主演のサスペンス映画を思い浮かべる人がいるかと思う。いや、いるのかな?正直パッとしない映画だったと当時記憶している。しかし内容は全く関係ない同名の映画が95年に公開されている。こちらはパッとしないどころか、まるで無かったかのように、人々から黙殺された感がある。特に日本人からは。というのもこの映画、日本を舞台にしたアメリカ映画なのである。ここでイヤな予感をされた方がいるかと思うが、もう少しお付き合い頂きたい。

 日本に出張で訪れた外国人商社マンは商談がうまくいって上機嫌になった夜、ホテルのバーで出会った女性と一夜を共にする。そして女性の部屋へ入ると、そこで待ち構えた忍者たちから襲撃を受ける。もう一度書く。忍者たちから襲撃を受けるのである。産業スパイか女性の昔の恋人が現れてひと悶着起きるのではなくいきなり忍者。95年頃は、ショー・コスギが火付け役となったアメリカ映画界における忍者映画バブルなど、とうの昔に過ぎ去った時代である。しかも作ったのがハリウッドの大手映画会社ユニバーサルときた。この映画で買える点といったらそこだけだ。

 このあと物語は女性は絶命し、外人は一命は取り留めたものの、搬送先の病院である日本人夫婦が接近してくる。ボディガードを申し出る夫婦に外人は断るが、生存を聞きつけた忍者たちが病院を襲撃。辛くも脱出した外人は、断った際に渡された連絡先を頼りに夫婦と合流。実はこの夫婦、由緒正しい武家の末裔で忍者集団とは何百年に渡る因縁の関係にあった。ボディガードを申し出たのは忍者集団との決着にこぎつける為のエサにしたかったのである。で、そのエサである外人を連れて武家の本拠地である島へ連れて行き、忍者集団をおびき寄せることを画策する。どうだろうか、外国人商社マンと日本人女性のアバンチュールという導入部からは想像できない突飛な展開。犯罪ものかと思ったら、いつの間にかバンパイアものになっていた『フロム・ダスク・ティル・ドーン』に負けず劣らずの突飛さだ。そんな映画を俳優陣は何の臆面も無く真面目に演じているのである。当然の務めだが映画が映画だけに誰も得はしないだろう。その俳優陣は日本人夫婦に先日急逝した原田芳雄にMUTEKIでAVデビューした島田陽子。くノ一役に夏木マリ(この人がいちばん得をしていない)、そして忍者の頭領になぜかジョン・ローン。アジア人なら顔はみな同じという欧米人の大ざっぱさがよく表れたキャスティング。

 と、まぁ口をあんぐりしたまま見るしかない映画だが、アクションシーンはさすがハリウッドだけあってしっかりしている。チャンバラが主になるが、日本人俳優陣に見劣りせずジョン・ローンの刀さばきもなかなか堂に入っている。そして何より原田芳雄、初めてカッコイイと思った。外人を島へ連れて行く道中、忍者たちと対決するいちばんの見せ場がある。次々と襲いかかる夏木マリ率いる忍者軍団に対し、コート姿に刀で応戦するのにはシビれた。ただ、戦ってる場所が新幹線の中。ここでも口あんぐりだ。

 そして『キル・ビル』でも経験した通り、緊迫したシーンに放たれる外国人俳優の日本語セリフ、その破壊力たるや筆舌に尽くしがたいものがある。日本人役であるジョン・ローン、忍者のホテル襲撃シーンで女性を斬り殺す前に問いかける一言に腰がくだけた。「カクゴォー、ワ、デキテェーイルゥー、ダロウナ(覚悟は出来ているだろうな?)」文面でイントネーションをお伝えできないのが残念だ。

 珍品という他に紹介の言葉が見つからないこの映画、日本描写の誤解度、ストーリーのぶっ飛び度、外国人俳優の日本語の堪能度、いずれも後世に残すべき酷さではあるが、こういう類いの映画に免疫ができている私には楽しめた部分もあるので、いつもの評価は初の「採点不能」とさせていただく。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 08:00Comments(0)TrackBack(0)【は】

2011年09月08日

【No.107】その男ヴァン・ダム


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’08/ベルギー、ルクセンブルク、フランス/カラー /95分
監督・脚本:マブルク・エル・メクリ
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、フランソワ・ダミアン、ジネディーヌ・スアレム、
カリム・ベルカドラ、ジャン=フランソワ・ウォルフ



 もし、神様というものがいるとしたら、私はこう言いたい。「なぜ、ヴァン・ダムをこんなふうにしてしまったのか」と。『その男ヴァンダム』を見ると、その気持ちは一層強くなる。

 ジャン=クロード・ヴァン・ダム。90年代に従来のアクション俳優には無い端正な顔立ちと空手仕込みの見事な回し蹴りで活躍したアクションスター。しかし、その地位は21世紀を迎えるとともに転落し、ビデオ映画(要するにVシネ)のみに主演するアクション俳優に。かつての輝きは人々の記憶に埋もれ、一時期浮上した「プリンセステンコーの婚約者説」という話題も手伝ってか、嘲笑の的のような存在になりかけたこともあった。最盛期に日本のテレビCMに出ていた過去など今やほとんどの人は憶えていないだろう。私もその一人で、たまたま動画サイトで見つけたのだが「ブラックブラックガム」のCMだった。最後に日本語で言う「ねむけぇぇ、すっきり!ブラっブラっ(ブラックブラック)」というセリフがむなしく耳に聞こえた。

 なぜ、今回は冒頭からヴァン・ダムについてあれこれ語っているかというのは、もちろん私がヴァン・ダムの虜になっているからに他ならない。しかも今年に入ってからの話である。きっかけは、これまた動画サイトでたまたま見つけた「木曜洋画劇場」の予告編集であった。現在も続く「日曜洋画劇場」「金曜ロードショー」を除いて、次々と消えていった夜9時台の映画放送枠。そのひとつである「木曜洋画—」はテレビ東京の番組であるが、放送が終わる間際に流れる次回放送分の予告編が他番組のものと比べると群を抜いて面白い。他番組はあくまで「予告」として作っているのだろうが、「木曜洋画—」は、もはやエンターテイメントと言っていい。放送する映画のセレクトよりも、こっちに本腰を入れていたのかと思えるほど。もっと言えば、本編を見なくても、15〜30秒しかない予告編だけでお腹いっぱいである。番組が終了してだいぶ経つというのに予告編だけが動画サイトでもてはやされているのは頷ける。ネットカフェへ行ってでも見る価値はありである。で、その中にヴァン・ダム主演作がいくつかあり(特に『ノック・オフ』予告編は秀逸)、それに満足するだけでは終わらず、作品をレンタル店から借りて見てみたら大変良かった。

 それからというもの、ヴァン・ダム熱に冒された私は、レンタル屋へ行ってはヴァン・ダム映画の棚へ駆け込む日々である。デビュー間もない頃の作品から最盛期、ビデオ映画に至るまでほとんど見た。やがて見るものがなくなり、ヴァン・ダム熱は徐々に沈静化に向かいつつはあるが、ここはケリをつけるべく『その男ヴァン・ダム』を見た。これが聞くも涙、語るも涙な映画で実際に泣きはしなかったが、心が涙で濡れたね私は。

 タイトルにヴァン・ダムの名が冠せられているところからもわかるように、主人公は実在のヴァン・ダムを自身で演じている。映画だから当然フィクションが含まれているものの、境遇もビデオ映画のアクション俳優と同じ。撮影現場では50(歳)近い体にムチ打って、無理なアクションを要求され、マネージャーから伝えられる次回作の仕事はどれもビデオ映画ばかり。スクリーン復帰を夢見ながら母国ベルギーへ帰る。もうこの時点で心の涙腺は緩みっぱなしである。まるでカメラには収まらない現実の光景を垣間みるような映像の連続だ。このあとヴァン・ダムは娘の養育費を振り込むため郵便局に立ち寄ると、そこを占拠していた強盗団に遭遇。その先に数々の受難が待ち受ける。

 アクションスターもといアクション俳優は、体を酷使したりして身を削るものだが、こんな形で「身を削る」のは初めて見た。公開当時から言われていた通り、自分自身をネタにしている。それはもちろん映画の前半部分にも随所にあるが、遭遇後の受難にもそれが表れている。「やっぱいい体してんなぁ」と体を触られまくったり、「おい、あの技見せてくれよ」と回し蹴りをおねだりされたりと強盗団からおもちゃにされているところなんかは笑ったが、やっぱり心の中では泣いていた。笑いの数だけ涙があふれている。

 そしてこの映画で注目したいのは製作国がアメリカではなくヨーロッパ圏であるというところ。映画がこれだけ哀しみを誘うのはヨーロッパだからこそだ。これがもしアメリカ製作ならば、「ヴァン・ダム捨て身の自虐」といったスタンスで下世話趣味全開のコメディ路線に突っ走ってたに違いない。

 先日正式発表されたスタローンの『エクスペンダブルズ』続編に出演という一筋の希望があるが、この先ヴァン・ダムはどうなってしまうのか。ああ、これ以上書くと本当に泣いてしまいそうなので、ここで筆を止めておこう。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 02:30Comments(0)TrackBack(0)【そ】

2011年06月26日

【No.106】イップマン 葉問


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’10/香港/カラー /109分
監督:ウィルソン・イップ
アクション監督 :サモ・ハン・キンポー
出演:ドニー・イェン、サモ・ハン・キンポー、ホァン・シャオミン



 今回取り上げる『イップ・マン』の予告編およびポスター、チラシで謳われている「ブルース・リーの師匠」という売り文句。手に入らずに新聞紙をくるんでこしらえたヌンチャクもどきで遊びほうけていた男性諸氏がこの売り文句を耳にしたら、劇場へ足を運ぶこと必至だろう。ブルース・リーの知られざる逸話だとか、スターダムへのし上がって行く道程だとか、内容としては師弟愛を描く『ベストキッド』みたいな映画なのかと想像される。しかしこの映画、ブルース・リー(を演じる人物)は登場しない。したがってブルース・リーを語る上で欠かせないキーワード、「ヌンチャク」「アチョー!!」「Don’t think feel」「若くして夭逝」「奥さんはアメリカ人」などは出てこない。結局は提灯に過ぎないのであるが、そうせざるを得なかった理由は題名にもあるかもしれない。師匠の名がそのまま題名になっているが、何の予備知識も無い人にとっては、バットマンやスパイダーマン、いや、カブキマンと同じ類いかと思われてしまう。その辺の混同を防ぐ役割を担っているんだろう。考え過ぎか。

 映画はブルース・リーが師事するはるか前、妻子を連れて香港へ移り住んだイップマンの半生が描かれる。とは言っても、演じているのはアクションスターとして脂が乗ってきたと評判のドニー・イェンだからアクションてんこ盛りだ。とにかくあのカンフーは流麗で美しかった。いつぞや観た『SPL/狼よ静かに死ね』でもカンフー使いの刑事をやっていたと記憶しているが、力まかせの激しいカンフーだったのに対し、今回は詠春拳という実在する拳法を用い、ほとんど力を使わず、相手の攻撃をかわしながらうまいことダメージを与える。まさに「柔よく剛を制す」(柔道だけど)という言葉にピッタリなカンフーだった。キャラクターも全く違う。『SPL』では悪には銃と拳で立ち向かう無頼派刑事で『イップ・マン』は諍いごとを嫌う温和で優しい拳法の使い手。キャラクターによってカンフーを変えているのだろうか。だとしたら、ドニーは器用なアクション俳優である。酔拳やら蛇拳やらやっていた昔のジャッキー・チェンとは違った器用さである。

 繰り出すカンフーもさることながら、イップ師匠は私にはどこか心惹かれる人物に見えた。抱える門下生のなかには多くの問題児がおり、他の流派からケンカを売られるとそれにまんまと乗って騒ぎを起こす。ヤンキー中学生そのまんまの弟子に手を上げる事なく許してあげるイップ師匠。この映画に限らず、大抵描かれる師匠像は判を押したように似たタイプが多い。いや、一般的といっていい。にもかかわらず、なぜ心惹かれるのか。それはイップ師匠、見た目が若いのである。一般的なイメージでいえば、白髪頭か、白髪が交じっているものだが、イップ師匠は真っ黒。道場を持っている様々な流派の師匠連中が一堂に会する場面があるのだが、ジジイばっかであった。そのなかで異様に若いイップ師匠が新鮮に映ったのだろう。もちろん若いうちに師匠になってはいけないわけではないが、「よくぞその若さで・・・」という印象が私の心を捉えたのだろう。イップ師匠の他に忘れてはならないのは、別の流派の師匠役のサモ・ハン・キンポー。昨年テレビで流れた黒烏龍茶のCMでオールドファンを安堵させたものの、また近年の渋みを増した風貌に戻っていた。水島裕はこの姿にどのような思いを抱くだろうか。『ファースト・ミッション』の吹き替えが懐かしい。

 最後に、実はひとつ嘘をついていたことを白状したい。本当は本作にブルース・リーは登場する。しかしこの時はおそらく、ブルース・リー信奉者には失笑の瞬間になるであろう。まだ幼少期なのに、物真似の定番である例の仕草をするのである。映画のラスト、1分ほどの出番だが、この扱いは『13日の金曜日』第1作目のジェイソンとよく似ている。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。



====================================================

名刺、ウェルカムボード等のイラスト、その他の依頼はこちらまでどうぞ

campus@nirai.ne.jp

====================================================
  

Posted by イリー・K at 18:00Comments(2)TrackBack(0)【い】

2011年05月20日

【No.105】悪魔を見た


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’10/韓国/カラー /144分
監督・脚本:キム・ジウン
出演:イ・ビョンホン、チェ・ミンシク、オ・サナ、チョン・グックァン、チョン・ホジン



 3年ほど前だったか、韓流ブームに端を発する「コリアンエンタメ(と呼んでいいのかな)」に翳りが見え始めたかと思っていたところに、昨年降って湧いたように起こったK-POPブーム。映画やテレビドラマの次は音楽で再び日本を席巻し始めることになろうとは。KARAと少女時代なんか私にはまったく区別がつかない。ケツをフリフリしながら歌ってるのは、長い脚線美でラインダンスみたいな振り付けで歌ってるのは、どっちがどっちなんだか。でも「ラインダンス」の方は素直にすごいと思う。8頭身もあろうかというスタイルを持ったメンバーが揃いも揃って律動的な動きを1ミリの狂いも無くこなしている姿は壮観ですらある。区別がつきにくいこの2組に限らず、K-POPの人たちはどいつもこいつもグループだ。「何だこいつら」というのがテレビに出てたりすると、大抵はそう。それが日本に大挙して押し寄せ、中高年の女性者層から、だんだん若い層にまで着実に浸透しているところに、どこか国策的なうすら怖さを感じてしまう。が、私が「コリアンエンタメ」に本当に恐れをなしているのはK-POPなどではなかった。遥かに恐ろしい存在が、韓国映画界にあったのだ。

 チェ・ミンシクである。『オールドボーイ』で15年監禁された復讐に燃えるオッさんを演じたあの人だ。見る者にまで何か危機感を与えるようなあの強烈さは未だに脳裏にこびり付いているが、それをも凌駕してしまったのが、今回の『悪魔を見た』である。よく、単なるオーバーアクトではない奇抜な演技をかまして評判になり「怪優」などというカテゴリーに括られるが、彼はそんな陳腐なものにはあてはまらない。映画を観て思ったが、チェ・ミンシクは「獣」である。本作や『オールドボーイ』で見せたあの凄まじさは演技ではなく「生態」だと考えれば納得がいく。さもなければ、生きたタコを手づかみでかぶりつくことなどしない。いま私にとって最も恐ろしい獣といえばライオンでもオオカミでもコモドオオトカゲでもなくミンシクである。一体どんな生い立ちをたどったら、あのような生態になるのか。私はミンシクのことを考えると夜も眠れない。

 本作でミンシクが扮しているのは連続猟奇殺人犯。若い女性をつかまえてはバラバラにし、性欲を満たしたければ、10代そこそこの子供であろうと犯すことは辞さない。獣としては願ったり叶ったりだ。婚約者を殺され対峙する捜査官にイ・ビョンホンが演じているが、あの過剰なほど邪魔くさいナルシズムを放つ彼が、本作では幾分か普通に見えた。獣の前ではナルシズムなど一瞬にして食い尽くされてしまう。

 映画を観てからというもの、他のミンシク出演作品を見てみたくなり、行きつけのビデオ屋に足を運んだ。借りた作品は『ヒマラヤ風がとどまる所』。そこで見たミンシクは、これまで持っていたイメージとは180度異なり、物静かな男になっている。リストラに遭い、全く先が見えなくなったところに弟から亡くなった友人の遺骨を故郷ネパールまで届けて欲しいと頼まれ、男はそれを引き受ける。そんなことする義理がどこにあるんだと首を傾げたくなる不可解な導入から始まるこの作品。セリフはほとんど無く、常に淋しさをたたえた表情で旅を続ける様子が映し出される。しかしそこはミンシク。何か一発やらかすだろうと微かな期待を寄せた。しかし映画は最後まで何も起こらなかった。これはとんだ肩すかしに思うかもしれないが、私はそうは思わない。なんたってミンシクが扮した無口で暗い男だ。ああいう人ほど、えげつないことを内に秘めているものである。旅に出る前、自宅のソファにもたれてボーっとテレビを見ている場面がある。カット割りが無く、ただ一点固定されて撮られており、推測してかなり広そうな家だ。画面の一角に戸が閉め切ってある部屋が目についた。あの向こうには恐らく、道具一式を取りそろえたSM部屋があるに違いない。勝手にサイドストーリーを膨らませてしまう獣、チェ・ミンシク。これからもスクリーンの前からじっくり観察を続けたい。


ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。



====================================================

名刺、ウェルカムボード等のイラスト、その他の依頼はこちらまでどうぞ

campus@nirai.ne.jp

====================================================
  

Posted by イリー・K at 00:43Comments(0)TrackBack(0)【あ】

2011年03月04日

【No.104】『悪人』の『告白』




「悪人」
’10/日本/カラー /139分
監督:李相日 脚本:吉田修一、李相日
出演:妻夫木聡、深津絵里、満島ひかり、樹木希林、柄本明


「告白」
’10/日本/カラー /126分
監督・脚本:中島哲也
出演:松たか子、岡田将生、木村佳乃



世知辛い世の中である。相次ぐ政治家の不祥事に動機不明な殺人、肉親間の虐待及び殺人など自分で書いててイヤになってくるが、そんなご時世に公開された『悪人』と『告白』の2作品が国内の映画賞で人気を二分するほどの高評価を得たというのは必然と言えば必然と言える。

初公開時、実を言うと私はどちらも劇場で観ており、ここで書くこと無くそのまま放置していたが、とうとう日本アカデミー賞の主要部門のほとんどをかっさらってしまった。だからというわけではないが、今回はこの2作品を観た当時の記憶をたどりながら書いてみたい。

タイトルが漢字2文字以外にも人間誰しもが持つ心の暗部に焦点を当てたことも共通しているこの2作、どちらも観てて気持ちのいい作品ではないし、また観ようとは思わない。しかしはじめに観た『告白』ははっきり言って面白かった。監督の中島哲也はこれまでの作風はファンタジー嗜好が極めて強かった。『嫌われ松子の一生』でさえ、悲惨な不幸が一生つきまとう女の話だというのに、ミュージカル部分を導入して完全なファンタジーに仕立て上げていた。そして作品はどれも(デビュー作『ビューティフルサンデー』は未見なので除外するとして)目がチカチカするほど色彩がカラフルである。しかし今度の『告白』はドス黒い。ファンタジーも何もあったものではなく「暗い」とか「陰気」など通り越してすべてがとにかくドス黒い。「すべて」と書いてしまったが映画の冒頭からドス黒くはない。担任を勤めるクラスの何者かに幼い娘を殺された中学教師(松たか子)が犯人に復讐を企てるという話。その第一歩は卒業式を迎え、生徒と担任が教室に最後に集うシーンから始まる。外からの強い日射しに照らされた教室全体の画作りもあって真っ白い。それが犯人へ向けた担任のある告白からグレーに染まり始める。それからあらぬ方向へ惨劇が飛び火し、幾人かの血が流れて黒くなっていき、復讐が完遂されてドス黒い大団円を迎える。このドス黒くなっていく過程が実に面白い。まぁ、復讐劇なんてものは一矢報いることで得られるカタルシスが前提としてあるから大抵は面白いんだけど。ただひとつ難点なのは、他でも言われているが全篇とおして登場人物が代わる代わる独白のような形でナレーションをしており、説明しちゃってるところ。「画で説明すること」が映画の役目だとしたら、これは御法度の感は否めないが、話の面白さで飽きさせる事無く観てしまい、2時間6分なんていう上映時間が嘘のようであった。それに比べて『悪人』の何と長いこと。あくびが何回出たことか。2時間19分だと。私には3時間ぐらいに感じたが。これまた他でも言われてたことだけど妻夫木と深津のエピソードに絞ればいいものを、周辺人物のエピソードを多く入れ込んでるもんだから全体的な印象が薄いのである。もうムダな贅肉が付き過ぎている。『告白』なんか東京ガールズコレクションのモデル並みにスリムだ(ミラノやパリコレ並みではない)。タイトルの『悪人』は殺人という大罪を犯す妻夫木を指しているのではなく、「人間、案外ろくでもないものよ」というスタンスから表出された登場人物たちをちりばめて、何を持って“悪人”とするか、そういう意図なんでしょうきっと。途中で誰の話だったか忘れかけたけど、どちらかというとネガティブ視線で接していた私には、誰かの詩集をモジるわけじゃないが「みんなちがってみんなわるい」という印象だった。



   「悪人」


   「告白」


ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。



ちょっとはずかしいけど宣伝。
====================================================

名刺、ウェルカムボード等のイラスト、その他の依頼はこちらまでどうぞ

campus@nirai.ne.jp

====================================================
  
タグ :悪人告白

Posted by イリー・K at 09:00Comments(4)TrackBack(0)【あ】

2011年01月29日

【No.103】エクスペンダブルズ


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’10/アメリカ/カラー /103分
監督・製作・主演:シルベスター・スタローン
出演:ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、ランディ・クートゥア、テリー・クルーズ、ミッキー・ローク ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー



 今、真のアクションスターと呼べる人っているんだろうか?このアタマに「誰もが知ってる」を付け足すと、今の時代では愚問になってしまう。

 昔の役者は得意とされる分野がはっきりと分かれていた。古くはラブストーリーで言えばハンフリー・ボガード(『カサブランカ』『麗しのサブリナ』)やクラーク・ゲーブル(『風と共に去りぬ』『或る夜の出来事』)、ホラーで言えばクリストファー・リー(ドラキュラ俳優)やアンソニー・パーキンス(本人の意志に反して“サイコ”俳優にされた)といったように、それぞれ活躍できた時代だった。特にアクション系は他と違って体を張る分野だけに専門性がきわめて高く、それをこなせる役者がアクションスターになり得た。そもそも「アクションスター」なんていうジャンル名にスターをくっつけた称号なんて他にはないだろう。いつしかホラー専門はすっかり衰退の一途をたどり、ラブストーリー専門は相変わらず甘ったるいなか、アクションスターは時代の移り変わりとともにやることがハードになっていき(それに並行してスタントマンの需要も高くなっていったが)、体格もマッチョになっていった。その最たる人がスタローンである。この“イタリアの種馬”はアクションだけに限らず、脚本や監督もこなすただのマッチョではない訳だが、これに追走するシュワルツェネッガーとのちに州知事になるこれまたただのマッチョではないスーパーマッチョ2巨頭が互いにしのぎを削っていた70年代後半から80年代が「誰もが知っているアクションスター」が第一線で生き長らえた最後の時代となった。それからというもの、幾人ものアクションスターが第一線に現れてはすぐに消えていった。スタローンやシュワルツェネッガーのように第一線で持続するのは困難になった。その要因は他でもない「映像技術の発達」である。

 周知の通り、90年代に入ってから、それは目まぐるしい進歩を遂げ、あらゆる表現が可能になった。そして今ではマッチョじゃなくても誰でもアクションがこなせる時代である。アンジェリーナ・ジョリーが激走する車から別の車に飛び移ったり、キアヌ・リーブスが逆エビ反りをしたり、モーガン・フリーマンが拳銃を乱射したりすることはたやすいことだ。いや、拳銃はモーガン・フリーマンじゃなくても誰でも撃てる。しかし映像技術云々からは離れるが、ジジィがいっぱしに拳銃を撃ちまくるという絵ヅラは昔の映画ではあまり見かけなかった。こういった一例を含めて、いろんな役者にいろんなものを求めるようになり、役者によって得意分野がはっきり分かれていた時代などとうの昔に無くなってしまったのだ。そんななかでアクションだけが命のアクションスターは第一線で知名度を上げる前に畑をさんざん荒らされたあげく、底辺へと追いやられていく。そこでなんとか踏ん張っているセガール、そこへもうそろそろヴィン・ディーゼル(『トリプルX』『リディック』)が加入するかも。そしてそこにすらいなくなったヴァン・ダム。これが今のアクションスターたちのはかない姿である。

 スタローンも例外ではなく、21世紀に入ったあたりから迷走を続けていた。それが最も際立っていたのは『スパイキッズ』の何作目かに悪役で出た時だろう。かつてのオーラはまるでナシ。誰かが引導を渡すべきときが近づいてきてるなと感じていたが、あきらめないのがこの男。還暦を迎えようかというときにロッキーとランボー、二つの持ち玉を続けて投入し、苦し紛れのカムバック。そしてその勢いを借りて作り上げたであろう、今回の『エクスペンダブルズ』である。アクションスター不遇の時代を嘆いたのか、復権ののろしを上げるべく立ち上がったスタローンは主要キャストのほとんどをアクションだけで食っているような役者ばかりを配し、映画の中で傭兵軍団を結成。南米の独裁国家を転覆すべく戦いを挑んでいく。

 あのころの栄光をもう一度といわんばかりにスタローンは頑張っていた。長距離を全速力で走りきり、跳び、蹴り、殴り、また走る。64歳だというのに。一般男性で言えばジジイと言われても差し支えない初老である。普通の64歳がやったら3日寝込むことは間違いない。老体にムチ打って、こめかみに血管浮き立たせてアクションをこなす隊長スタローンに負けじとジェット・リーを始めとする軍団のみんなも頑張る。もちろんカーチェイスや爆破シーンも手抜かり無し。まさにアクションのイロハがすべて詰まった映画になる、と思っていたが、あれあれあれと、おかしな方向に行き始めた。この独裁国家、“国家”というわりにはあまりに弱い。構成員はザコばかりである。数こそ圧倒的に優勢だが、兵力が傭兵軍団の方が上を行っている。ガンマニアでも何でもない素人目の私から見ても差があることがわかる。国家ともあろうものが有事に備えていろんな武器揃えてそうなものなのにせいぜい機関銃ぐらいである(もっとスゴい武器あったら見落としてたということで謝ります)。そこへとてつもない威力を持ってそうな銃器を装備した傭兵軍団が攻めて来るもんだから、ほぼやられっぱなし。いや、肉弾戦で互角にまで持ってったりするところもあるのだが、総合的に見たらかすり傷程度を与えただけで一進一退というまでには及ばない。コテンパンにやられる独裁国家側にちょっと同情すら感じた。これは前作『ランボー/最後の戦場』にも通ずるものがある。敵側からどデカイ銃器を奪い取ったランボーが片っ端からザコ兵めがけて撃ちまくり次々と肉片と化していくシーンには心の中で「やめたげて〜っ!」と叫ばずにはいられなかった。そんな同情も手伝って「スタローンとゆかいな仲間の殺戮行脚」ってな印象を除けば、アクション映画としては充分堪能できるだろう『エクスペンダブルズ』。早くも次回作の準備に取りかかっているそうで、スタローン以下仲間たちが動き出している。そこにヴァン・ダム加入か?というちょっとうれしい噂も聞く。次回こそは是非とも敵側とはフェアな戦いを期待したい。






ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 00:17Comments(4)TrackBack(0)【え】

2011年01月14日

【No.102】新婚性教育 制服の花嫁




「新婚性教育 制服の花嫁」
’06/日本/カラー /60分
監督・脚本:国沢実
出演:星月まゆら、水原香菜恵、小峰由衣、高見和正、世志男 、りぼん


「人妻がうずく夜に 身悶え淫水」
’08/日本/カラー /60分
監督:荒木太郎
出演:浅井舞香、淡島小鞠、里見瑤子、荒木太郎、牧村耕次



 これまで、映画なら何でもござれと威張り顔だった私は、前回「カルト映画の夕べ」にてほんの一部ではあったが奥深きカルト映画の洗礼を受けて、それがただの奢りであったかを思い知らされた。今回は襟を正す思いで未知なる領域に足を踏み入れようと思う。足掛け5年、脱線は多々あるものの映画について書き続けてきたこの場でまだ取り上げていない分野があった。それはピンク映画(ポルノ映画とも同義)である。

 今のような一カ所に複数のスクリーンが集まるシネコンではなく、まだ各地に映画館が散在していた頃、当時住んでいた家の近所に胡屋琉映という映画館があった。映画というものに興味を持ち始め、学校帰りに映画館の看板やポスターを見て廻ることを日課にしつつあった私は(別に遊び相手がいなかったわけではない)足繁くその劇場にも通った。一般映画とピンク映画をほぼ交互に上映していた劇場だが、通ったその日がピンク映画であっても、表に貼り出されているポスターやスチール写真を人目にはばからずへばりついて見ていたものだ。ショーウィンドウに飾られているトランペットを物欲しげに見つめる黒人少年みたいに。今でも鮮明に憶えているのは、女優の乳房が露出しているスチール写真にはどれも乳輪が黒丸で隠されていた(ちょうどイラストのような感じ)。ポスターはどれもモロ出しなのに。まだ「性」という言葉など知らない小学校一年生だった私が、保育園児の頃に見た保母さんの素足以来に感じた性であり、あの黒丸が、映画やAVなどで局部にかぶせられるボカシやモザイクよりも先に初めて知った性の自主規制である。そういえば映画館に限らず、レンタルビデオ屋でもタイトルが「エロス」という洋モノポルノのパッケージをガラス越しに見ていたこともあったっけ。今にして思えば、あの頃あちこちに駆け回っていた私は近所でも評判のとんだエロガキだったに違いない。それから十余年。ピンク映画が観られる年頃になり、何本か観てきてはいるが、正直どう観たらいいのかいまだにわからない。メインとするところの性描写、いわゆる濡れ場に期待しているわけでもないし“活用”する気などさらさら無い。ご用意して頂いた制作者および配給会社各位には申し訳ない話しだが、それは他でもう間に合っている。18歳未満は観る事はできない成人映画だからそれはそれで仕方ないが、しかし映画であることには変わりはないので、どうしてもそこら辺の一般映画と同一線上のものとして観ようという生理が私の中にはあるようだ。

 ピンク映画にも素晴らしいものがいっぱいあるというようなことを聞いたことがあるし、中江裕司監督もよく開南琉映によく通って観ていたことを熱弁しているを見たことがある。そういった見聞から「ピンクを観ないで何が映画好きか!」というのが心の中で芽生えてきたのだろう。別に持たなくてもいい義務感を持って数回、劇場でピンク映画を観てみたんだが、悲しいかなまだこれといったものにめぐり遭っていない。たまたま観た映画が悪いのか、出てくる役者はどれも「紋切り型」というか「型にはまった」というだけで片付けられるような演技をし、ストーリーも「濡れ場が中心なんだから物語は二の次」という印象しか持てない中途半端さ。だったら見せ場の濡れ場を見ようにも、好みでもない女と疲れた中年男がジットリと絡んでていまいち気分が盛り上がらない。総じて観てきたピンク映画は琴線に触れないものばかりで、ああ、どうしたもんかと平成23年を迎えてしまったのだ。そして年明け早々観に行ったのである性懲りも無く。

 向かった先は初めてピンク映画を観たところでもある首里劇場。実はこの日に上映された2本のうちの1本がなんと首里劇場そのものを舞台にした映画ということで以前から興味をそそられていたのである。舞台にされたのは頷ける。存在しているのが奇跡であり伝説にもなっている劇場である。便利と快適が完全支配している現代に慣れきった人が見たらカルチャーショックを受けること請け合いの外観と設備。日本広しといえども、トイレが水洗ではない劇場はおそらくここだけだろう。そこに惹かれて舞台に選んだわけではないだろうけど、『人妻がうずく夜に 身悶え淫水』と題されたこの映画は、映画館に住み込みで働く男のもとで、ある事情により預かることになった兄貴分の妻。女性に縁がない男は次第に妻に恋心を抱き近づこうとするが、これが成就したらハタから見たら許されない愛になってしまう。さぁどうなる、というのが大まかなあらすじ。例によって役者はどれもわかりやすく、「ああ、この人は多分こういうことするよな」という予感を見事に裏切らない。60分しか時間がないせいか(ピンク映画はどれもこの時間で決まってるんだろうか)、はしょり過ぎなところは気になるものの、映画が(多分)描かんとするところの「お互い近づこうにも近づけない切なさ」みたいなものは充分表れてそこそこ味があった。それより何と言っても観ているこの場が舞台なので、ちょうど私が座っている椅子んとこで売春行為をしていたり、さっき料金所で見た劇場の館長さんが出てきたりと、映画本来のところとは違う部分で楽しませてもらった。エンディングで三線が演奏される中、ドンチャン騒ぎするエキストラにまじって館長さんが無意味にやる空手の型が見所のひとつと言っておこう。

 さて、何を隠そう私が問題にしたかったのは併映の『新婚性教育 制服の花嫁』のほうである。こちらは先ほど観た1本目の感傷的な内容とは違って学園もの。出てくるヒロインはもちろん若い。シャワーを浴びせようもんなら水が弾けまくって大変だ。これが40間近であろうさっきの1本目の妻役だったら素肌にへばりついてドロドロだ。女子高生にして人妻であるヒロインが、高校教師のダンナに内緒で勤め先の高校へ転校する。そこへヒロインに惚れてつきまとう男子生徒やダンナに接近する友人、ヒロインとダンナが夫婦であることがバレないよう監視する女校長などが入り乱れて話しが進行する。

 観ているうちに私は寒気がしてきた。それは暖房が効いてない館内のせいではない。この映画の演出が寒気を呼び起こさせるのだ。1本目の演者が「わかりやすい」であればこっちは「ベタベタ」だ。尚かつそのベタは懐かしさを憶えるほどの古さを帯びている。ヒロインの友人が男勝りの性格で自分のことを「オレ」と呼んだり、ダンナから料理下手を指摘されて怒ったヒロインがタマネギ切りながら涙し、案の定指を切ったり、極めつけが怒るときの仕草が頬を膨らませて“ぷぅっ”というのを本意気でやっていた。更にはロッカーに潜んで監視していた女校長が見つかった時、黒子の恰好をしていたのには唖然とした。とにかく我が目を疑うほどのマジかマジかの連続である。2006年に作られた映画なのに、胸に押し寄せるデジャウ゛のような感覚のもとは何なのか考えてみたら、「月曜ドラマランド」が出てきた。80年代にフジテレビで月曜夜の7時半から放送され、若年層をターゲットにアイドルを主役に据えた単発のドラマ枠である。映画のような設定はご存じ「奥様は16歳」の70年代からありはしたが、映画のノリやクオリティを加味すると、「月曜ドラマランド」およびその他アイドル主演ドラマが量産された頃に限りなく近い。あの頃ブラウン管でよく見た光景が、まさか銀幕でお目にかかるとは思わなかった。でも見てるのはオッサンばっかりだ少なくともこの場は。まだまだわからないことだらけのピンク映画だが、観られる人が限られていてあまり日が当たらないだけに、平然と「頬を膨らませて“ぷぅっ”」がまかり通る分野なのか。あの頃定番とされていたものが、やがて時代に流されて漂着した先にはピンク映画の園がある。そこにはきっと「大映ドラマ」チックなやつもあるかもしれない。それにいつ当たるかわからないが、これからも静かにピンク映画を見守りたい。そんなことを思いながら、寒空の下、首里劇場をあとにした1月2日であった。





「人妻がうずく夜に 身悶え淫水」


「新婚性教育 制服の花嫁」



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  
タグ :ピンク映画

Posted by イリー・K at 01:30Comments(2)TrackBack(0)【し】

2011年01月01日

【番外編】カルト映画の夕べ




 社会に出て幾年月。30歳を過ぎようが、いかに自分がまだまだ無知であるかを痛感させられることがよくある。それでよくここまで生きてこられたなと感嘆するほどである。こないだ車検の時期を迎えたが、段取りや必要書類等がまたわからなくなっていた。自賠責保険証なんてどこ行ったのかとゴソゴソ一日中探して結局見つけたのは車の中。車の取扱説明書などとともに一緒に保管されてたのだった。また2年後には忘れていることだろう。あ、これは記憶力の問題だった。そんなことはさておき、一般社会において知って当然というようなことを知らないことがまだまだあるかもなと戦々恐々とするなか、これだけは譲れないと自負するものがある。それは映画だ。このブログをやっている以上、いろんな映画を見てきたわけで、たとえ未見でも公開当時に謳っていた内容はだいたい憶えているし、80〜90年代の映画は製作年まで頭の中に入っている。よっぽど昔のものではないかぎり、おおよその映画は知ってるつもりではいたのである。しかしこんな自信を根底から揺るがしかねない出来事にぶつかってしまった。  続きを読む
タグ :カルト映画

Posted by イリー・K at 23:59Comments(2)TrackBack(0)番外編

2010年08月28日

【No.101】プレシャス


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/アメリカ/カラー /109分
監督・製作・脚本:リー・ダニエルズ
出演:ガボレイ・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、マライア・キャリー、レニー・クラヴィッツ



 日々お仕事に勤しむ我々社会人には関係ない話であるが、今夏休み真っ只中。終盤に差し掛かり、宿題の追い込みに明け暮れているお子さんが多いことだろうが、しかしまぁなんだろうか今年の夏休み映画のラインナップは。お正月と並んで稼げると言われていたはずのこの時期、洋画邦画の各社が満を持して投入したであろう作品を並べてみると、昨年にも増して心が躍らない。まぁ、恒例のポケモンをはじめとするアニメは除いて(ここは強引に「アリエッティ」、「トイストーリー」も除外)、強く感じるのはそこはかと流れる貧乏臭さだ。『プレデターズ』、『特攻野郎Aチーム』、『ベストキッド』とどれも見事なくらい焼き直し揃いで目立たない洋画のおかげで辛うじて目立ってるのが『踊る大捜査線』というのが何とも悲しい。これでは子供のころの私でも観る気は失せる。「“魔法使い”かよ」つってDSやってるだろう。魔法使いかぁ、映画に3Dが当たり前になりつつある時代なのに。しかも演ってるのがニコラス・ケイジ。本当に解せないんだけど、なぜあの手のものにカツラかぶせてまで出てもらいたいというニーズがあるのか。ハリウッドでは万人に受ける要素を見つけるために年齢層や性別に合わせて、こういうシーンを挿入すると効果が上がるというようなサンプルを事細かに網羅しているらしいが、ニコラス・ケイジを出すと子供のハートをがっちり掴むというサンプルでも存在するのだろうか。汲めども尽きぬハリウッドの謎である。

 もうあまりの惨状に救いを求めるように夏休み映画ではないが、本土より遅れて上映されていた『プレシャス』を観に行ったのである。しかしこの映画、そんな私の心を埋めてくれるような代物ではなかった。埋めるどころかむしろ穴が広がるばかり。「アカデミー賞受賞」という提灯につられた己を悔いたものである。

 貧しい生活を送り、学校ではいじめ、家では母親から精神的、肉体的な虐待を受け、父親からのレイプにより2人目の子供を身籠っている女の子プレシャス。まだ17歳にして波瀾万丈な半生がこの映画には描かれている。以上の説明の中で出てきた「悲惨」にイコールで結ばれる極めつけのフレーズの数々(この他にもまだ出てくる)、これだけのフルコースを並べられると、悪い映画だと言えなくなってしまう。いや、悪い映画ではないんだがアカデミー賞の選定委員が「もうわかった。賞のひとつくらいはあげるから勘弁して」と白旗を挙げたんじゃないか。そんなあるはずもない憶測を呼び起こすほどの悲惨さをこの映画は持っている。

 知っているつもりではあったが、こうも映画で見せつけられると、アメリカ社会が抱える闇にこういった貧困層が多いのを本当に知ってるつもりだったんだなぁというのが痛感される。まぁそれまでも認識のもとはほとんど映画だったけれども。度重なる不幸にめげず、前向きに生きようとするプレシャス。しかしそこにまた不幸が。そんな主人公に哀れなあまり同情はするけれども、感動までにはどうしても及ばないのは申し訳ない話、主人公のみてくれがよろしくないんだなぁ、やっぱり(映画をご覧になって気付かれた方がいらっしゃるかわからないが、化粧を取ったら曙になるのをイラスト描いてて気付いた)。ことあるごとにふてくされた顔がスクリーンに大写しになるとどうも。

 それに主人公が現実から逃れるために時折、「華やかな芸能界の頂点に立っている自分」の妄想にふけるシーンがある。どんなに辛かろうが妄想するには一向にかまわない。しかし画(え)になった妄想の耐えられないキツさったらない。バチバチと光る報道陣が持つカメラのフラッシュを浴びたり、きらびやかなステージで歌い、果てはイケメンに好意を抱かれ・・・っていうのには目を背けるのを忘れるくらい固まってしまった。もうあまりのことに劇中で地味に徹していたマライア・キャリーに欲情の目を向けてしまった、ちょっとだけ。普段のマライアには別段なんにも興味はないんだけれど、それに逃げたくなるほどのキツさだったということだ。





ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  
タグ :プレシャス

Posted by イリー・K at 09:10Comments(5)TrackBack(0)【ふ】

2010年08月03日

【No.100】渇き


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/韓国/カラー /133分
制作・監督・脚本:パク・チャヌク
出演:ソン・ガンホ、キム・オクビン、シン・ハギュン、キム・ヘスク、オ・ダルス



 さて、単館系でひっそりと公開され、何もこれといった評判を耳にしないままひっそりと終わってしまったこの『渇き』という韓国映画。まるで、薄明かりの排水溝に不意に現れて目を離す間に消えていた野ネズミのようなこの映画を「バンパイア」を扱ったキワもの映画として記憶に留めている人は日本にどれぐらいいるんだろう。時が経つにつれて、その数は減っていくだろうし、かく言う私も来年の今頃にはすっかり忘れているかもしれない。備忘録ではないが、早いとこ忘れないうちにここに書き留めておこうと今日は筆を執った次第である。

 敬虔なカトリック神父のサンヒョンはボランティアとして新薬開発の実験台になるためアフリカへ赴く。そこで危篤状態に陥ってしまい、応急処置で謎の血液を輸血され奇跡的な回復を遂げる。彼は帰国し元の神父生活に戻るが、やがて日光を避けるようになり、急激に腕力と跳躍力がアップ。そして日頃食べている物を受け付けなくなり血を欲するように・・・。

 こうしてバンパイアと化していくサンヒョンを演じるのはソン・ガンホ。日本で公開される韓国映画には大抵顔を出しているオッサンである。何作も通して見続けてきて気付いたが、この人の魅力のひとつは「食べる演技」にある。もちろん次から次へと慌ただしく口へ物を運んでいく「がっつき系」。そういうのに適した顔つきなのかもしれないが、とにかくうまそうに食べる。カップラーメンでさえも極上の食べ物のように見えた(『グエムル』より)。あれは演技というよりもあそこだけ「食」による快楽本能に根ざしたものではないか、そんな思いが巡るというものだが、いくらなんでも血まで飲んでくれと言ったおぼえはない。さすがに「がっつき系」ではなく、神父であるが故、人道上人は殺せないから輸血パックからチューブでチューチュー吸ってたけど。それに女優と本格的な“絡み”をするような二枚目役には不向きだ。あんなゴツゴツした四角い顔では口づけ交わすだけでも大変だろうに。たとえどんなに減量してこの役に臨んだとしても(役作りで本当に10kg痩せたらしい)、顔は四角のまんま。“演技力”や“膨張率”をどうコントロールしようが「型」の前ではまったく無意味になる場合がある。

 それにしても最近の韓国映画はこういった欧米のものを無謀にも取り入れようとする傾向が見られる。「ウエスタン」を扱った『グッド・バッド・ウィアード』は、時代設定こそは違うものの、何とか成立させてはいたが、今回ばかりはそうはいかなかったな。やはり欧米人と同じタキシードを東洋人が着たところで、比べるまでもなく似合うわけが無いのと一緒で(どんな状況だ)、いろいろと無理が生じてしまう。本作に限って言えば、バンパイア云々の前に主役が神父という時点で多くを仏教徒で占める日本人から見たら違和感ありありだ。いや、それが韓国ではそれが普通であるとさっき知ってしまったとしても(ちょっとネットで調べた)、初見時の概念は拭いきれない。儒教派が多数だと勝手に思い込んでいたから。まぁ、それらのことはシャッポを脱いで呑んだとしてもバンパイアというものは何百年とわたって伝承されてきた西洋の文化そのものなんだから下手に東洋人がイジっちゃあいけないと思う。

 同じく東洋人である我々日本人も下手にイジくり倒してきた歴史がある。私が生まれる遥か前に新東宝という今はなき映画会社を筆頭にこういう類いのものが量産されていたし、私がリアルタイムで思い出したのは『咬みつきたい』という91年に製作された映画。吸血鬼を演じたのはなんと緒形拳。ありえないでしょうそんなキャスティング。今思えばあの時観なくて本当に良かったと思うし、あれを「在りし日の緒形拳」のひとつとして認めたくない私はDVDを借りることは決して無いだろう。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。


  

Posted by イリー・K at 22:12Comments(2)TrackBack(0)【か】

2010年07月07日

【No.099】アウトレイジ


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’10/日本/カラー /109分
監督・脚本:北野武
出演:ビートたけし、椎名桔平、加瀬亮、三浦友和、國村隼、杉本哲太



 12年前、ベネチア映画祭でのグランプリ受賞で日本国民にアッと言わせた『HANA-BI』から、私は北野映画はすべて劇場で観てきた。しかし何年か前に“ブランド力”にも翳りが見え始めたかなんてことを書き(『監督・ばんざい!』の項参照)、一昨年の『アキレスと亀』を観たあとは、もういいんじゃないかとある種の義務感を持って劇場に足を運んできた自分にイヤ気が差し始めていた。だから最新作『アウトレイジ』を観るかどうかは躊躇していた。でも、観ちゃった結局。ああ、ブランドには弱いんだなぁ何だかんだ言って。

 しかし今回はそんな後ろめたさなど無用なくらい映画に入りやすかった。前作まで難解な部分が多かっただけに非常にわかりやすい。そして久々のオハコであるヤクザものである。

 しかし原点に立ち返ったとはいえ、いまや劇場映画でまともにヤクザものをやっているのは見かけなくなった。盛んにやってるのはVシネだけである。あんなに百花繚乱な栄えっぷりを見ると見る気が失せる。というよりまともに見たことないんだ私は。どうしても「チャチい」という概念が頭から離れないもんで。演者がどんなに恐ろしい形相でスゴんでも「でもVシネ。」っていう脱力感に似た感慨が頭の中をよぎってしまう。いまじゃ100円まで値が下がって借りて見られるし。一方1600円払って観る劇場映画だという自負があるのかないのかは知らないが、さすが北野監督、ヤクザを演じることとは無縁な役者を配したり、殺し方に一工夫を加えたりと単なるヤクザものとは一線を画す作りになっている。Vシネつながりで中野英雄が出てたけど。

 そして映画はVシネヤクザものとの差別化を成し遂げ、宣伝の煽り文句も手伝ってか「悪人博覧会」といわんばかりの赴きになっている。中間管理職ヤクザ、間抜けなヤクザ、インテリヤクザなどよりどりみどり。そういった面々がひとつの箱(スクリーン)の中に入り、雌雄を決すべくぶつかり合う。「ハブとマングースの決闘」にさそりやらカマキリやらザリガニなどを入れて俯瞰から我々観客が見物しているようだ。そんな動物(ヤクザ)たちの間で交わされる口ゲンカ、あんなに「バカヤロー」「コノヤロー」が連呼される映画なんて初めて見た。もっと他に脅し文句無かったのかというくらい。『BROTHER』の「ファッキンジャップぐらいわかるよバカヤロー」に匹敵する往年の名ゼリフ誕生の瞬間を待ち望んでいたのに「バカヤロー」「コノヤロー」ばかりじゃちょっと残念だ。

  あと、この映画はヤクザものである以上、当然ついてくるバイオレンスが売りのひとつになっているのだが、血で血を洗う暴力が日常のヤクザ社会、そこで生きている彼らの価値基準というか言葉の解釈がすごい。國村準が下っ端のたけしと椎名桔平に敵対している組長の石橋連司(前出の“間抜けヤクザ”にあたる)をしめ上げる役目を押し付ける場面がある。嫌がるたけしに「チョッカイ出すぐらいでいいからさぁ」と國村。で、結局決行するのだが、あれが「チョッカイ出す」というレベルなのか。映画の中の話にしてもやっぱり堅気にはわからん世界ですわ。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 04:03Comments(0)TrackBack(0)【あ】

2010年06月08日

【No.098】第9地区




↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/アメリカ/カラー/111分
監督:ニール・ブロムカンプ
出演:シャールト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ



 やっぱり宇宙人モノは楽しい。地球にエイリアンがやって来ててんやわんやする宇宙人モノは主に3つのタイプに分類される。『インデペンデンス・デイ』や『宇宙戦争』など人類に攻撃を仕掛ける宇宙人による「襲来型」、『E.T.』や『未知との遭遇』など人類に友好的な宇宙人による「共存型」、そして『メン・イン・ブラック』で確立された人知れず地球に住む事情を持った宇宙人による「潜在型」。観客に手堅く当たりがいいこの3つを欲張ってどれか2つ掛け合わせて作られたりするものがあるが、そういうのは大抵どっちらけか良くても中途半端な受けで終わってしまい忘れ去られてしまう(『ドリームキャッチャー』なんかがその典型。)。

 そしてこの『第9地区』は強いて挙げるとしたら「共存型」に属する。“強いて”挙げさせていただいたのは、今まであった「共存型」の趣とはひと味違っている。天(宇宙)から舞い降りてきて「我々は人畜無害の者です。あなた方を愛するよう努めますから我々のことも愛して〜!」ってな感じで人類に歩み寄っていくのが従来のフォーマットだった。しかし本作の宇宙人たち、一度舞い降りたものの母船が故障しそのまま停泊せざるを得なくなる。したがって彼らは難民となり、人類が設けた居住区に押し込められ虐げられる存在になっていく。内心では「チっ、迷惑顔しやがって。こっちは好きで住んでるわけじゃねぇよ。お前らのことなんて知るかっ!」ってな感じか。ポジティブとアクティブさに欠けるのがひとつのポイントだ。その上、舞台を南アフリカにして宇宙人の「難民」性を一層リアルなものにしている。SF映画でありながら現実的な社会性をうまいこと絡めているのは心憎い。そらアカデミー賞にも目つけられるわ。

 しかしこれだけリアルさに固執しているのかと思えば、SF映画ならではの突飛ももちろん用意されている。映画を進行するひとつのカギとなる宇宙人たちが隠し持つ武器のことである。ここでも例によって人知の及ぶものでは無い出来のモノが登場するが、あんなもんあったら鉛の玉いくらあってもかなわんだろうに。威力を例えてアレがロケットランチャーなら鉛の玉はせいぜいパチンコ玉にしかならんだろう。アレを隠し持っていて虐げられるのは少々疑問だというのを本作に対する唯一のツッコミとさせていただく。

 さて、話は変わりますが最後にひとつお知らせを。

 1ヶ月以上当ブログを放置していたのは、別で新たなブログを立ち上げておりまして、そちらにうつつを抜かしてたんであります。当ブログとは趣は違いますが、イラストをメインにしていることは変わりません。いつまで続くかはわかりませんが、当ブログ同様、こちらもどうか御贔屓にしていただけたら幸いです。


新ブログ「他人の顔」
http://othersfaces.ti-da.net/




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 00:54Comments(0)TrackBack(0)【た】

2010年04月30日

【No.097】ハート・ロッカー


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’08/アメリカ/カラー/アメリカンビスタ/131分
監督:キャスリン・ビグロー
出演:ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティ



 キャスリン・ビグロー。いま、「女性監督」と検索したら真っ先にヒットする名称である。先のアカデミー賞で監督賞としては初の女性受賞者になったことにより、それまでずっとついて離れなかった「ジェームズ・キャメロンの元カミさん」の呪縛から解放されることとなった。

 以前に書いたと思うが、多くの女性監督が頭角を現してきている日本に比べ、海外に目を向けるとこの人ぐらいしか思い浮かばない。他にも多くの人たちが活動しているはずなのだが、私の記憶力が悪いのか表立った活躍が皆無である。あ、ソフィア・コッポラなんてのがいるな。でもあの人は親の何とか光りで業界に定住しているという印象しかないのですぐに出てこなかった。あとロスト・インなんちゃらとかいうの見て無性に腹立ったぐらいかな。説明するのが一部おろそかになるぐらい私にはどうでもいい人なんである。もうしばらく記憶を手繰ったら、ノーラ・エフロン(代表作『ユー・ガット・メール』『めぐり遭えたら』など)、たま〜にダイアン・キートンとかの女優が監督業をかじったりするぐらいか。けっこう出てくるもんだ。時間かけないとなかなか出てこないこれらの面々に対し、瞬時に出てくるキャスリン・ビグロー。これは明らかに異なる特筆すべき点があるからに他ならない。

 受賞作となった『ハート・ロッカー』はイラクでの爆発物処理を担う男たちの奮闘を描いた作品である。

 観て改めて思ったが、この人にはチンポコが付いてるに違いない。唐突にはしたない表現を使って恐縮だがこれは精神的な意味でである。もちろんゲイだとか性的嗜好を決めつけているのではない。

 本作に限らず彼女が作ってきたものは実に男臭いものが多い。銀行強盗のボスと刑事の攻防を描いた『ハートブルー』、旧ソ連潜水艦内部の上官と下士官の軋轢を描いた『K-19』など、プンプン臭ってしょうがない。しかも男と男をぶつけ合うんだから、より男臭さはアップする。恋愛映画などの路線に走りがちな他の女性監督たちには見向きもせず、ただひたすら固執しているかと思えるほどにこの路線をひた走っている。

 そして今回の『ハート・ロッカー』は対決ものではないが、出てくるのは男ばかり。軍人だから皆短髪。長髪の人は出てこない。最後に出てくる主役の嫁ぐらいか長髪なのは。炎天下で作業する男が流す汗がこちらまで飛び散るようだし、仲間同士諍いで飛び交う拳も忘れちゃいない。監督の名を伏せてこの映画見せたら撮ってるのが女性とはわからないだろう。チンポコ付いてる人間しか撮れないようなものを、付いてないのに撮ってしまうこの人はやっぱりチンポコ付いてるとしか思えないのである。これからも彼女には路線は一切変えず心のチンポコを持ち続けて邁進してもらいたいものである。こんなにチンポコ連呼するのは大人のやることじゃないんだけれども。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 07:00Comments(6)TrackBack(0)【は】

2010年04月12日

【No.096】地獄



’79/日本/カラー /124分
監督:神代辰巳
脚本:田中陽造
出演:原田美枝子、林隆三、岸田今日子、石橋蓮司、田中邦衛、金子信雄、加藤嘉




 映画を知る者の間での話だが、伝説的な語りぐさを持つ監督は数えきれないほどいる。なかでも神代辰巳という人は70〜80年代に隆盛を極めた日活ロマンポルノで名を挙げたひとりである。他には山本晋也がいるがあの人は本業とはあまり関係ないテレビでの露出で知れ渡っているのに比べ、本業のみでファンが増えたという意味で考えれば、私の知る限り他にいない。これが私が持っている神代辰巳のすべてである。というのもロマンポルノとほぼ無縁な生活を送ってきた私は、この人の映画(一般作も含む)は観たことがなかった。そんな私が神代辰巳の作品を知る第一歩として、よもやこの『地獄』を選ぶとは。いや、選ぶ選ばないというより、たまたまCSでやってたんで見てみただけなのだが。

 この映画、数ある神代作品の中でも最も異色な部類に入るらしく(これも語りぐさのひとつかもしれない)、他に観るべき代表作はあるだろうに『地獄』見るかぁと、ファンから呆れられるかもしれない。初心者としては失格だ。

 異色とされる由縁のひとつはやはりタイトル通り地獄そのものを描いているところだろう。過酷な状況などに使われる“地獄”という意味ではなく、そのものズバリあの世に存在しているといわれる“地獄”である。もちろん閻魔大王や鬼、皆さんご存じの針山地獄や釜ゆで地獄も登場する。

 しかしこの地獄巡りのシーン、当時としては最新の特撮技術(だと思う。もちろん今見たらチープ)を駆使しているため、勿体ぶってるのか知らないが2時間あるうち最後の2、30分でやっとお目見えする。それまでは田舎の旧家を舞台にした母と娘(主演の原田美枝子が二役)二代に渡る怨念のドラマが展開される。作られたのが70年代で、「旧家」と「怨念」が来れば、そのドロドロさ加減は横溝正史が描きそうなソレと同じ(勝手なイメージですが)。当時の影響が濃厚に感じられる設定だ。

 しかしまぁ考えてみるに、いろいろ歳を重ねてこの映画を見たのはある意味幸運な巡り合わせだったのかもしれない。これがまだ何も知らない、純真無垢な子供の目にはどう映るのだろう。地獄を見せられるというだけでも相当なトラウマになるはずなのに、これが巨大挽き臼でひき潰される岸田今日子、木に茂った刃物の葉っぱに切り刻まれながらもそこにいる幻の女を奪い合おうとする田中邦衛と石橋蓮司、仕上げに山崎ハコが歌うエンディングテーマを聴かされたら、その後の人生どのような道を歩むのか想像を絶する。

 最後に主演を張った原田美枝子。今や確かな演技力を持っているとされる正統派の感を持った女優である。この時はまだデビューも間もない頃だろう。役柄は好色狂いということで脱いだりするんだが、最初に持った「初々しい」「あどけなさが残ってる」といった印象が一気に吹き飛ぶぐらいのグラマラス。何なんだよあの体つきは。昨今の美人とされる女優では決して見られない。芽生え始めた「確かな演技力」もあの体型の前ではかすんでしまう。「貫禄ある女優」というのはああいうのを言うのかもしれない。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 18:40Comments(0)TrackBack(0)【し】

2010年04月01日

【No.095】Dr.パルナサスの鏡


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/イギリス・カナダ/カラー/ドルビーSRD・DTS・SDDS /124分
監督・脚本:テリー・ギリアム
出演:ヒース・レジャー、クリストファー・プラマー、トム・ウェイツ、リリー・コール、ジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウ




 前回、『グッド・バッド・ウィアード』のイ・ビョンホンについて書いたら急激にアクセス数が伸びていた。どういうわけか調べてみたら「イ・ビョンホン」と検索して訪れた人がほとんどらしい。韓流ブームなど遠くになりにけりとなって久しいが、イ・ビョンホンに対する世間の関心が意外に高いことに驚いた。私と同じような見方をしている人がこの中にどれくらいいるのかわからないが。とか思ってたら4月から主役を務めるテレビドラマが日本で放映される。これがなんとゴールデンタイムで。CSや地上波の深夜ならよく流れているが、この時間帯はおそらく初であろう。放映するTBSは一体何を考えているのか。ドラマに制作費注ぐよりも海外から放映権買った方が安上がりというヤケと捉えるべきなのか。視聴率不振にあえいだり、報道の不祥事に対する世間の風当たりによる局内の混乱がタイムテーブルにも現れ始めている。その救世主の1人にイ・ビョンホンが選ばれるとは(この前までは小林真耶だった)。あの“風情”は果たしてゴールデンタイムに耐えられるのか。あれを毎週待ちこがれる家庭ってどんな家庭なんだろう。思いは尽きない。とにかくどんな“風情”を持っているのか確認してみたい方は4月21日水曜夜9時スタートの「アイリス」を見るべし。

 イ・ビョンホンの動向を気にするどころかドラマの宣伝までしてしまったではないか。そんなことより今日は『Dr.パルナサスの鏡』について書くんだった。

 『ダークナイト』でのジョーカーの狂演で一躍有名になったヒース・レジャーが急逝し、役者仲間の3人(ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレル)が代役としてカバーしたことはご承知の通り。これがどんな形でカバーされているのか一番気になるところであったが、映画に出てくる鏡の中での姿という設定であった。この「鏡」というのはパルナサス博士(見た目は博士感が皆無)が悪魔とのある契約によって作ってしまった不思議な鏡。ロンドン中を巡演する旅芸人一座で披露されるこの鏡に入ると、その人の心象風景を映し出す世界が広がっているのである。ここで、監督テリー・ギリアムのイマジネーションが爆発する。

 独特の世界を作品に反映させる人として有名なこの監督。『未来世紀ブラジル』や『フィッシャー・キング』などその精神は一貫している。私が観たことがあるのは3本程度で、どれもその一貫性には関心はしたが満足に値するほどでもなかった。しかし今回ばかりはスゴい。スゴ過ぎる。私は有無も言わず白旗を掲げよう。

 何がスゴいのかといえば、あまたの映画を観てきてうがった観方をするまでになったへそ曲がりの鑑賞者である私を童心に帰らせてくれたことだ。それがいつ以来なのか忘れてしまうほどに汚れてしまった私は清々しささえ感じた。あの鏡の世界には怖い気はするが一度入ってみたい。正直、ストーリーなどどうでもいい。ヒース・レジャーやパルナサス博士の顛末など知ったこっちゃない。ただただ私は鏡の虜である。映画が進行するうちに鏡のシーンを欲するようになり、最後あたりではエサを待つひな鳥状態だ。そんなわけで遺憾なく発揮したテリー・ギリアムのイマジネーションには敬服せずにはいられない作品であった。悪魔がシルクハットかぶったフツーのオッサンというとこにもシビれたし。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 01:00Comments(0)TrackBack(0)【と】

2010年03月18日

【No.094】グッド・バッド・ウィアード


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’08/韓国/カラー/139分
監督・脚本:キム・ジウン
出演:チョン・ウソン、イ・ビョンホン、ソン・ガンホ



 韓国映画史上、最高額の巨費を投じたというこの『グッド・バッド・ウィアード』。いちおう西部劇であるが、公開時、安易にやりそうな「○○ウエスタン」などと大々的に謳わなかったのは賢明であった。公式ホームページかどっかにチョロッと「キムチウエスタン」というのを目にした記憶がないでもないのだが。これはもちろんマカロニウエスタンからの流れを汲んでのもの。本場ハリウッドの西部劇をイタリアが真似たのが定着したものでいわばバッタもんである。これを意識して作るということは、バッタもんのバッタもんということになる。それに加えて発祥はよく知らないが、はしりとされる『荒野の用心棒』などの評判が良くて後にそう「呼ばれる」ようになったであろうに、評判になる前に自ら「名乗る」というこのマヌケの上塗り。だから「スキヤキウエスタン」と名乗った『ジャンゴ』は失敗したのである(個人的には好きな映画。特にエンディングに突如流れるサブちゃんの主題歌の台無し感が秀逸)。それを知ってか知らずか「キムチウエスタン」を最小限に喰い止めたのは良かったが、日本での大ヒットというまでには至らなかった。ムズカシイのね宣伝って。

 1930年代初頭、中国東北部のどこかに埋もれているというあるお宝を巡って、賞金稼ぎ、馬賊の頭(かしら)、泥棒の3者が、日本軍と入り乱れながらも探し求めるというストーリー。「西部劇」のハッキリとした定義は良く知らないが(知らない事だらけで申し訳ないです)、舞台や時代設定が従来と違う点から冒頭での紹介の折り、「いちおう」と付け加えたのはそのせいである。しかしオープニングから、列車内での攻防を入れてくるとは「西部劇」的だ。もちろんガンアクションも出てくるが、兵器が進歩してるから機関銃や装甲車も投入しているから本家に比べて加速している感じである。タイトルにもある「善」にあたるチョン・ウソン(賞金稼ぎ)、「悪」のイ・ビョンホン(馬賊の頭)、「奇人」のソン・ガンホ(泥棒)のキャラクター設定はバランスが保たれている・・・と感想を締めたいところだが、そうしてもほっとけない「悪」のイ・ビョンホン。あんなんだったか?彼。前作だったか『甘い人生』からそれらしき匂いが漂い始めてはいたが、妙なナルシズムが邪魔をしている。いや、常に自分を意識するというのは、欠くことのできない俳優の一要素かもしれないが、彼の場合何をやっても「こんなオレってどう?」と突き付けられてる気がしてならない。目の奥がギラギラしていて、ただならぬ雰囲気を醸し出し、何をしでかすかわからないアブなさを見事に体現してはいるのだが、敵と格闘しても、目にも止まらぬ早さのナイフさばきをしても最後には「こんなことができるオレ」で終わる。実際やっていないけど、カメラ目線だったんじゃと思えてくる。いやぁ、このナルシズムは他の追随を許さない。多分待ち時間とかずっと鏡見てるんじゃなかろうか。たった数年でこんなに印象が激変するものか。デビュー当時に出た『JSA』なんか今見ると別人である。あれはただの田舎の好青年だ。この激変ぶりは長渕剛に通じるものがある。しかし映画の内容云々よりもこんなに書かせてしまうとはつくづく罪な男である。





ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 06:00Comments(0)TrackBack(0)【く】

2010年02月24日

【No.093】アバター


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/アメリカ/カラー/162分
監督・脚本:ジェームズ・キャメロン
出演:サム・ワーシントン、シガーニー・ウィーバー、ゾーイ・サルダナ、スティーヴン・ラング、ミシェル・ロドリゲス




いま、映画界だけでなく、巷でも『アバター』という言葉を聞かない日はない。寝ても覚めてもアバター状態だ。

聞くところによると3Dといっても劇場の設備によって種類があるらしい。鑑賞時にかけるあのメガネも本格的なところ(何を持って“本格的”かはよく知らない)へ行けば“装着型”に近い形で視力が悪いメガネ族の方でも、そのままかけられる代物だが、いかんせんけっこうある重さのせいでよくズレて集中力を欠いてしまうとか。字幕版を観るにしても、今までの3Dの概念だった「飛び出てくる」ものではなく、さも画面の向こうにあるかのような「奥行きが味わえる」ものだが、字幕だけが飛び出して非常に読みづらいらしい。3Dを享受するためにはどんなに超満員であろうが我先に人波をかき分け苦行を受けなければならないのだろう。しかし、3D上映ではない2Dの字幕版を観た私も苦行を強いられた。隣りに座っていたガキんちょのおかげで。もううるせえのなんのって。どうせガキどもは3Dの吹き替え版に流れるだろうという私の読みは甘かった。見るからに小学校高学年の2人組が中央付近以外の席はガラ空きなのに、よりにもよって横にくっついてきやがって。どうか平穏に観られますようにと心の中で祈った願いもむなしく、我が家のように振る舞いまくる。上映中、喋ってはポリ袋からポップコーンを取り出してポリポリ食って、ポリ袋に戻してまた喋る。ガサガサ、ポリポリ、ペチャクチャの繰り返し。おまけに劇中小学生でもわかる英語が出てくると異常な反応を示すんだ。中盤、主人公が惑星の住人を従えて「我々は戦う!」と宣言したところでうれしそうに口をそろえて「ファイト!ファイトぉ〜っ!」だって。それを横目に映画後半からどうやってこいつらの暴走を阻止してやろうか、映画のことなど少しもなく頭の中にあるのはそれだけだった。エンディングを迎える前に何としてでも始末しなければ。飲んでいるアイスティーのカップをぶちまけてやるか、はたまたあらん限りの力を込めて拳骨をお見舞いしてやるか、いや小さい子供に暴力を振るうのは大人げないので、耳もとで「映画を観ているのは君たちだけではないのだよ。静かにしたまえ。」と囁き紳士的に処理するか。とまぁ逡巡したあげく、終盤あたりで遂にかましてやりましたよ。思い切り舌打ちを。もちろん効力ゼロ。ちゃんと耳に届くように横向いてやったのが情けない。ああ、もっと強くならねばなぁ。明かりが灯り、そそくさと帰っていく2人を見送りながら席を立ったのだった。

ここまで付き合ってもらった皆さんに申し訳ない愚痴を吐き出したのでガキどもはもういい。感想に移る。

映画が誕生してから百十年余り幾度と進化を遂げてきた。無声モノクロから始まり、トーキー(音付き)になり、カラーとなって、スクリーンサイズのシネスコ、シネラマの登場、急速なCGの発達などを経て、もうこれ以上はないだろうと思われていたところに現れた『アバター』の3D。果たしてこれが脈々と続いてきた進化のひとつの節目となるのか、いまのところ今後の映画業界の動向によるので未知数ではあるのだが、どうなんでしょうかこの3Dって。いっても昔、青と赤のメガネかけて大流行りして衰退してしまったわけだから、今のは詳しく言ったら改良版なわけだ。でも確かに昔のよりかは桁違いに臨場感はスゴいという評判は本当らしい。ただこの3Dの評判が、映画云々よりも一人歩きしている。友人と『アバター』を観たという話になってその次に「3Dじゃないけど」と付け加えると、とたんに友人は興味をなくす。内容のことなど二の次で3Dのことだけを知りたいのである。この映画に対する世間の受け止め方は本末転倒な気がして妙に気持ちが悪い。まぁ、こういう新しいモノの常ではあるんだけれども。

私は3Dなどどうでもよくて内容を観たかったから何の躊躇もなく2Dを選んだが、期待した割には結構な肩すかしだった。遠い昔にどっかで見たなというモノの寄せ集めな印象。デジャ・ウ゛かと思えるぐらい。

寡作だけど名作多いけどなぁ、ジェームズ・キャメロン。映像技術にも一切手抜かりがない完璧主義者だけど『タイタニック』から映像の完璧さと反比例するかのようにかげりが見え始めた感はあった。前回の『母なる証明』の項じゃないけどこの人も溺れてしまったんだなぁ、映像技術の追求に。映像技術と内容のバランスが保たれていた『エイリアン2』から『トゥルー・ライズ』あたりがピークだったように思う。「これからは3Dの映画しか作らない」と公言してるらしいし3Dの需要も高まるかもしれないが、少なくとも私には3Dはいらない。たとえ時代に逆行していると言われようとも。





ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 23:00Comments(4)TrackBack(0)【あ】

2010年02月16日

【No.092】母なる証明


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/韓国/カラー
監督・原案・脚本:ポン・ジュノ
出演:キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グ、ユン・ジェムン、チョン・ミソン



 我が子に傾ける母親の愛情というものは海よりも深い。『母なる証明』に出てくる母親もまた然りである。ただ、この母親、その愛情があまりにも深すぎて溺れてしまっている。その溺れる様は見ようによっては心打たれるようで無様であり時には滑稽でもある。

 効くのかどうかわからない薬草を売って、貧しいながらも生計を立てる母親は、知的障害を持つ息子と二人暮らし。仕事をしている間も、表で遊ぶ息子からは決して目を離さないほどの寵愛ぶりだ。だが、息子は女子高生殺人の容疑をかけられ、突然警察に連行されてしまう。ウチの子供がそんなことするはずがない。子を愛する親なら誰しもが抱く信念を胸に、息子の無実を証明するために奔走する。警察の捜査は形式的なだけで容疑者はすでに手の内にあるので良しとしているし、頼んだ弁護士は刑の減軽に甘んじているだけでやる気なし。現実が希望から遠ざかるほど母親の執念は激しさを増し、その行動は常軌を逸したものになっていく。このようにして人並み程度の愛情が息子逮捕というアクシデントを境にズルズルと底なしの愛情にはまり溺れていくのである。

 本作の監督、ポン・ジュノは本国はもとより世界的に見て天才と賞賛されている人らしい。その評判には少々首をかしげてしまうが、本作を含んで私が観た3作はどれも良い意味で「異質」であることは確かだ。それにこの人は作品毎に「明」と「暗」を交互に作っている印象がある。少女が主人公のコメディ『ほえる犬は噛まない』(これは未見だが、タイトルからして内容はだいたい想像できる)、実際に村で起こった未解決の殺人事件を扱ったミステリー『殺人の追憶』、けったいな韓国産怪獣映画『グエムル〜漢江の怪物〜』ときて本作に至っている。『ほえる犬—』と『グエムル』が「明」とすれば『殺人の追憶』と本作は「暗」だ。しかも「暗」の2作は方向性も似ている。画の質感まで。

 そして本作において、この監督の異質さが最も際立っているのは、あの母親を踊らせているところだ。不気味というかなんというか怪しさに満ちた踊り。最初はなんなんだと観てるこっちは呆気にとられるが、底なしの愛情に溺れ疲れたから、それを発散するためなのかと勝手に解釈すると、あの踊りは味わい深いものになってくる。でも余計疲れると思うんだけど。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 02:00Comments(0)TrackBack(0)【は】

2010年01月27日

【No.091】イングロリアス・バスターズ


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’09/アメリカ/カラー/152分
監督・脚本: クエンティン・タランティーノ
出演:ブラッド・ピット、メラニー・ロラン、クリストフ・ヴァルツ、ダニエル・ブリュール、イーライ・ロス、ダイアン・クルーガー



 タランティーノほど「映画狂」という言葉が似合う映画監督はいない(自身の著書名でも名乗っている「蓮美重彦」というご意見もあるでしょうが、ここは映画監督に限っての話ということで)。いや、たいていの監督は映画好きが高じて生業にした「映画狂」だ。ただ、この人の場合、「助監督からのたたき上げ」だとか「CMディレクター出身」とかではなく、「レンタルビデオ店員からの成り上がり」という特殊なケースで他の監督とは異なる位置に君臨している。映画館へ通うよりも手軽に見られるレンタルビデオに囲まれて下積み時代を送った“土壌”が、「映画狂」のイメージを定着するには最も分かりやすいし、ふさわしい。それだけに業界では目立つ存在なものだから新作を発表する度、俄然注目度が高く、宣伝活動だけにとどまればいいものを無関係なケータイのCMなんかに出たりして余計なことまでやらかそうとする。タランティーノは業界でも有数のお調子者でもある。言葉の意味は教えてもらっても、セリフの意味は把握せずに口にしたであろう「タラちゃんです」には、うしろからケツを蹴り上げたくなるが、悔しいかな『イングロリアス・バスターズ』は面白い映画だと認めざるを得ない。

 今作は第二次大戦モノ。今まで現代劇で大暴れしてきたタランティーノに果たして合うものなのかと制作発表されたときから、一抹の不安をはらんだものだったが、いざ観てみたらどうだろう。第二次大戦というのはあくまで時代設定なだけで、あとは全部タランティーノ色に染まっていた。例によってマトモな奴はほとんどいないし、次々と人が死んでいくし(戦争なんだから当然だけど)、第二次大戦モノには付きものの悲壮感など微塵も見られない。あるのは痛快、爽快ばかりである。全篇とおして「やりやがったな」の一言に尽きる。

 所詮、映画なんぞハッタリの世界。負の歴史だろうがなんだろうが楽しませりゃ万事OKだということをタランティーノは誰よりも分かっているのだろう。このあたりも映画狂の映画狂たる所以だ。

 そうでなければラストに待っているあんな“暴挙”に打って出ないだろう。B級映画には多く見られたが、こんなハリウッドメジャー級の映画で堂々と。さすがはB級映画をこよなく愛するタランティーノ。どんだけバジェットが膨らもうが姿勢は崩さない。これぞ映画狂の心意気。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 03:00Comments(4)TrackBack(0)【い】

2010年01月01日

【No.090】NEXT -ネクスト-


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。


’08/アメリカ/カラー/96分
監督:リー・タマホリ
出演:ニコラス・ケイジ、ジュリアン・ムーア、ジェシカ・ビール、トーマス・クレッチマン




 今日は『イングロリアス・バスターズ』の紹介でもと考えていたのだが、たまたまCSで流れていたある映画を見てみたら、近年稀にみる愚作っぷりに筆を執らざるを得なくなったので急遽予定変更。その映画とは一昨年公開されたニコラス・ケイジ主演のSF映画『NEXT−ネクスト−』である。

 2分先の未来を予知できるという特殊な能力を持っているが故にFBIに目を付けられひたすら逃げる主人公をニコラスが演じている。この男を追い続けるFBIの目的は、あるテロ組織から核兵器を使用したテロ遂行の予告を受け、それを阻止すべくこの男の能力を利用したいのである。で、結局男は捕まり、FBIに力を貸して共にテロ組織の動きを追っていく。この筋書きはSF映画ならではという感じで大いに期待が持てる。公開当時に観た予告編は観て損はなさそうかなと思わせる佇まいだった。ところがいざフタを開けてみたら、何とも中途半端な代物だったのである。観客をナメてるのかと書き進めている筆が震えるくらいの中途半端さだ。実際はパソコン打ちだけど。

 FBIを仕切る女性捜査官をジュリアン・ムーアが演じているが、この女がいかにもハリウッド映画(限定)が描きそうなステレオタイプな役柄である。仕事一本筋に生きる女性、「デキる女」とでも言ったらいいのだろうか。基本はため口で見透かすような物の言い方をし、人には高圧的に接近する。FBIに限らず、この手の女性はハリウッド映画で頻繁に見かける。数十年前、ウーマンリウ゛が台頭し、それに呼応するかのように「キャリアウーマン」なるものが映画の中に出てきて「強い女性像」が確立してきて、『羊たちの沈黙』あたりでスタンダード化した感じである。あ、『羊たちの沈黙』といえば、続編でクラリス(主役のFBI捜査官)やってたのはジュリアン・ムーアだったな。『NEXT−ネクスト−』と全く一緒じゃねーか。

 あと、主人公は予知能力を駆使し頭の中でシュミレーションし、2分先に待ち受ける危険を回避したり、自分に都合の良い選択肢を見つけたりするのだが、そんな頭の中で働くシュミレーションを「もし、こうしたらこうなる。ああしたら、ああなる。」といった感じの映像展開でテンポよく見せてはいるが、これは「ある話の部分から進んできたところまでは実は(映画の中では)現実ではなく、それがわかった時点で元の部分に引き戻される」という現象を生み出す。そういった意味では「夢オチ」と変わらないのではないか。それをするなんざぁ御法度と我々観客もすでに気付いている「夢オチ」なんていう処理法を「予知能力」に鞍替えしてアレンジ加えるとは大したものである。結局失敗してるんだけど。

 最後に余談だが、冒頭で主人公が逃げ込んできたアジト(らしきところ)の住人のピーター・フォーク。「刑事コロンボ」の人だ。この人もストーリーに大いに絡んでいくのかなと思ってたら、そのあとの出番が一切なかった。あんなの名優をあんな所で中途半端に扱った意図はなんだ。これもまた中途半端。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
  

Posted by イリー・K at 03:00Comments(2)TrackBack(0)【ね】

2009年12月10日

【No.089】ディア・ドクター


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’08/日本/カラー/127分
原作・脚本・監督:西川美和
出演:笑福亭鶴瓶、瑛太、余貴美子、井川遥、八千草薫



 笑福亭鶴瓶が最近何やら映画づいている。いや、昔から映画に出続けてはいた。しかしほんの端役に過ぎなかったものばかりだったのが、準主役級が増えて遂には今度の新春、吉永小百合と共演である。どうもテレビ見ててげっそり痩せたうえに無精ひげなんか生やして小汚くなったなと思ってたら、その映画での役作りのためらしい。吉永小百合だものな。監督は山田洋次だし。「ポスト寅さん」的なものを狙っているのかな。そんな想像は置いておくとしても、年を経るごとに「映画に出る」ということに対して並々ならぬ意気込みが湧き上がっているように見える。そして先日公開された『ディア・ドクター』では初の主役だ。

 監督は、日本映画界の新たな脅威、西川美和。何に対しての“脅威”なのかよくわからないが、前2作(『蛇イチゴ』、『ゆれる』)で独自のカラーを若くして確立してしまった実績を踏まえ、今後も続くであろう活躍を考えれば充分“脅威”である。さらに経歴にまでさかのぼってみると「早稲田(大学)出身」→「テレビ制作会社に入り、その働きぶりから是枝裕和の誘いにより映画監督に」→「処女作から高い評価を得る」とまさにエリート街道まっしぐら。そして本作の製作にあたっては長期にわたる綿密な取材と脚本執筆を行ったという。エリートの名に恥じない働きっぷりだ。そんな経緯を経て完成した本作を期待して観てみると、これがあんまりハマらなかったのである。意外なほどに。本作が投げかけるところの「僻地医療」という社会性が強いテーマに疎い私が悪かったのか、瑛太の演技が邪魔くさかったからか。前2作に比べ衰えているわけでもなく、相変わらず捉え方がウマかったはずなのにどういうわけだろう。鑑賞後いろいろ考えたが、この消化不良の原因はどうも鶴瓶にあるようだ。

 テレビで見る鶴瓶は本職である落語はせず、いわゆる「フリートーク」の類いでバラエティに出続けている。仕事場や実生活などで遭遇した「ネタ話」をするのが主であるが、「A-studio」という番組のエンディングで、その日招いたゲストにまつわる「いい話」を語ったり、「家族に乾杯!」で片田舎の村人と触れ合ったりと「ヒューマニズム」な顔を見せている。これが主役抜擢の大きな要因であろう。しかしそんな顔を含めて芸風は極めてあざとい。滑舌がいいとは言いがたいあのダラダラした喋り方や、後輩芸人からイジられやすいように常に雑に振る舞うのは「あざとさ」の何ものでもない。泥酔してチンコさらけ出したのもそのせいか。まぁ、面白いからいいんだけれども。

 しかしこの芸風が演技の妨げにでもなったのか西川監督が汗水流して構築した物語の世界を侵蝕してしまったようである。ポッと出のエリートも敵わなかったということか。言ってもベテランだからねぇ鶴瓶は。

 鶴瓶はなるべく中心には据えないで、そこら辺でチョロチョロ演じさせて、しばらくしたら捌けさせるような『母べぇ』でのポジションぐらいで充分かもしれない。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村  

Posted by イリー・K at 02:00Comments(0)TrackBack(0)【て】

2009年11月24日

【No.088】スペル




↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’09/アメリカ/カラー/99分
監督:サム・ライミ
出演:アリソン・ローマン、ジャスティン・ロング、アドリアナ・バラッザ



今日はこの秋いちばんのホラー映画と評判になっているらしい『スペル』を紹介したいところだが、まずおすぎ氏は褒め過ぎだろういくらなんでも。『エクソシスト』以来30年ぶりの傑作って、じゃあその間何観てきたんだと横やりのひとつでも突っつきたい気持ちになるが、これは各々にしかわからない感性の問題だから一概に攻めることはできないし、わざわざ『エクソシスト』と並べなくても本作は充分おもしろい映画であることに変わりはない。

以前『ディセント』を観た時に「年を重ねたせいかホラーが苦手になった」みたいなことをコラムで書いたことがあったが、『スペル』を観て「ホラーが苦手になった」のではなく、「“正統派”のホラーが無くなった」ということに気づかされた。本作には“正統派”が正統派であった頃のエッセンスが随所に感じられる作品なのである。

『スパイダーマン』シリーズですっかり人気監督の座を確固たるものとしたサム・ライミは若かりし頃、それまでのホラー観を覆すデビュー作で世に出た人である。そのデビュー作こそ80年代に量産されたスプラッターホラーのはしりとなった『死霊のはらわた』。インディーズの野心を感じさせるさまざまな描写はホラーというジャンルにおいて斬新で、何よりポスターにあったバケモノのあの白い目は、まだ小学生に上がろうかという幼かった私の目に強烈に印象づけ、私にとってのホラーのルーツとなった。それ以降“2匹目のどじょう”といわんばかりに他の映画会社から『死霊の○○』というタイトルが多く横行する時代を迎えた。

ところが最近はどうだろう、映像技術の進歩やら何やらでホラー映画界もいろいろ“手を変え品を変え”合戦が激化しているのである。映像=当事者の視点で描かれる「ドキュメント風ホラー」やエンディングに切ない涙を誘う「泣けるホラー」、あげくの果てにホラーと見られたくないのか「ソリッド・シチュエーション・スリラー」なんていうのを名乗ったりとわけのわからないことになっている。そんな混沌となりつつあるなかで登場した『スペル』はやっぱり正統派だ。その定義のひとつとして挙げられるのは、ちょっと誤解を招く言い方になってしまうが「怖くて、なおかつ気持ちいい」という点だろう。古典的な手である「こけおどし的」手法が小気味いいくらいにキマり、観たあとスッキリなんにも残さず、ああ怖かったねと家路につける。それに加え、サム・ライミ特有の「恐怖と笑いは紙一重」な見せ方。怪物があからさまにとぼけたことするような、おちゃらけたものではなく、観る者の目に飛び込んでくるような映像表現。思わぬところで血がピューっと出てきたり、「ババアの入れ歯」や「ヤギ」のトコなどオールドファン(私のこと)にはウヒョヒョなシーンが満載である。まさにサム・ライミ、原点回帰といったところだ。とどのつまり本作を例えて言うなら焦がしニンニクだとか五目とかうまいのはいっぱいあるけど、やっぱりラーメンはしょうゆに限る。そういう映画である。

伝わったかどうかわからない例えで締めてしまうのはなんなので、最後に難点を二つほど。冒頭あたりであまりの唐突さで頭に残った伏線のおかげでオチが読めてしまったのと、主役を張った『死霊のはらわた』からの付き合いでサム・ライミの映画には必ず1シーンは顔を出していたアゴ長色男、ブルース・キャンベルが見れなかったのは残念。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村  

Posted by イリー・K at 03:42Comments(4)TrackBack(0)【す】

2009年11月10日

【No.087】レスラー



↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’08/アメリカ=フランス/カラー/109分
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ミッキー・ローク 、 マリサ・トメイ 、 エヴァン・レイチェル・ウッド




今日紹介する『レスラー』は、人気はとうに過ぎた中年プロレスラーの悲哀に満ちた生き様を描いたヒューマンドラマである。

地方巡業で得た安いギャラで細々とした毎日を送る主人公は、筋肉増強剤の服用による体の変調でドクターストップを言い渡されてしまう。本業を辞めざるを得なくなり、仕方なく始めたバイトは長続きせず、荒れた生活のおかげで最愛の娘には見放され、惚れたストリッパーに接近しようにもいまひとつうまくいかない。心身ともに傷ついた主人公は、その体をひきずって最後は再びリングに帰っていく。

敵にぶつかり戦う勇姿を見せても、ひとたびリングを降りれば何もかも不器用な主人公には胸をしめつけるものがあった。

その主人公を演じていたのは、今はなつかしきミッキー・ローク。80年代に色男(これってもう死語かね?)をよく演じた俳優の代表格であった。それが92年、例のボクシングの一戦でそれまでのイメージすべてを吹き飛ばしてしまったのはあまりにも有名。ミッキー・ロークと聞いて8割の人が連想するのは「色男」よりも「猫パンチ」だろう。これを境に、我々の前からフェイドアウトしてから10年の月日が流れた(といっても、このあいだにも映画には出てたんだけど)。そうして見ない間にあんなことになっちゃっていたのである。顔かたちがかつての「色男」全盛期を誇っていた頃など見る影もない。“年輪”とは思えない不自然な凹凸。「整形」などとささやかれ、真偽は定かではないが、顔の表面がまるで半透明のビニールマスクをかぶっているかのような質感なのである(ひと昔前によく見かけたレーガン元大統領のマスクみたいな感じ)。「色男」全盛期から「猫パンチ」没落期へ一気に転換したあの痛々しさがあの変わり果てた顔でさらに輪をかけてしまった。

 そう、1時間49分間、延々私の胸をしめつけていたのはあの痛々しさかもしれない。そしてそれが主人公の役柄に見事に結実して作品に大いに貢献している。公で言われている「本作で完全復活」などといった声や賞賛は別として、とりあえず本作の主人公にミッキー・ロークというのは最高の適役といえる。




ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

人気ブログランキングへ
にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村  

Posted by イリー・K at 22:00Comments(0)TrackBack(0)【れ】

2009年10月31日

【No.086】ユナイテッド93





’06/アメリカ=イギリス/カラー/111分
監督:ポール・グリーングラス




2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件。「9.11」という名称で簡略化されるほど、あのときの衝撃は今なお私たちの記憶に新しいところだが、発生した直後から「いつかはハリウッドが映画にするだろう」なんていう話がささやかれていたものである。ロバート・デ・ニーロが経営しているレストランにプロデューサーが映画化の話を持ちかけて、激怒したデ・ニーロに追い出されたという話もあったらしい。

それから5年、ハリウッドが遂に動き出した。『ユナイテッド93』というタイトルで製作されたこの映画は発生当日の様子とハイジャックされた4機のうち唯一、目標攻撃地点まで到達されないまま墜落した旅客機内部(憶測込み)を描いたドキュメンタリー色が濃い作品である。公開当時、「とうとう作りやがったな」ってな関心を抱きつつも、私は全くもって受け付けず観ることはなかった。観るにはもう少しの時間が必要との判断である。

んで、こないだ日曜日の夜に丁度CSで流れるので、もうそろそろいいだろうと解禁して初めて目にしたが、いやぁ、観るんじゃなかった。何せあれから9年も経っているからある程度は自分のなかで落ち着いてきたかなとは思ったが、やっぱり重い。あの一つひとつのディティールが功を奏して発生するリアルさが、テレビに釘付けになったあのときの記憶を蘇らせるのだ。それでありながらグイグイと引き込ませる力があって、作品としてしっかりしているのである。有名俳優は起用せず、抑揚のあるBGMなどは極力排し、特に後半からの冷徹なほどに淡々と進行する造りなんかは見事と言わざるを得ない。しかし、しかしである。そんな映画を作らせる需要が一体どこにあったのか。

「拝金主義」という言葉が思い浮かぶハリウッドが話題性重視で取り上げたかというとあまりに軽薄で考えにくい。あと賞狙いというわけでもなさそう。実際ひとつも賞レースには引っかかっていなかった(と記憶している)し。「記憶を風化させないため」とかでも反戦映画じゃあるまいし(いちおう反戦映画の一種ではあるけど)、がっつりみんな知ってることなんだから忘れるわけがない。レクイエム的な意図で作ったのであれば聞こえはいいが、誰しも振り返りたくない過去の再現、しかも想像したくもないあの機内の状況を憶測で描いて誰が観たがるというのか。ここまで、さも悪いかのような書き方になっちゃってるがそうではなく、観るものに確実に何かを投げかける映画ではあるが、存在意義がわからないということで今回書いてみました。ただ、ひとつだけ言えることは休み明けを控えた日曜日の夜中に観る映画ではないということです。観た翌日なんてもうブルーマンデーどころの騒ぎじゃない。映画から己に投げかけられた何かをきちんと消化するには最低1日は必要でしょう。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
  

Posted by イリー・K at 08:00Comments(0)TrackBack(0)【ゆ】

2009年09月22日

【No.085】しんぼる



↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’09/日本/カラー/93分/カラー/ビスタサイズ/ドルビーSRD
企画・監督・主演:松本人志
脚本:松本人志、高須光聖




 前作『大日本人』に続いて第2作目『しんぼる』のPR活動に松本は積極的な行いを見せていた。コラボ企画と称して某お菓子メーカーのCMなんかにも出ていたし、いつもの場所(レギュラー番組など)以外での姿を公開前後にテレビや雑誌媒体などで多く見かけたことだろうと思う。そしてこうした活動のなかでの吉本が本作を扱う”ものものしい感じ”も前作のときと一緒だった。

 本格的に映画事業に乗り出した吉本が、そのひとつとして今年3月に催された沖縄国際映画祭。ゴリや品川などの中堅芸人には開催時期に間に合わせるよう急ピッチで作らせて会場で上映させるなか、松本だけは完成記者会見を現地で開き、完成しているのに上映はしなかったことから、吉本から別格に位置付けされ、なおかつ新作をいかに大事に扱われているかがよくわかる。別格視されているのには納得だが、見せないんだったら別に東京で会見開いてもよかったんじゃないかと個人的には思ったもんだが。

 それから約半年、前作同様秘密主義のもとで話題と注目を浴びさせ、公開された本作を観たのであるが、なんともはや。内容を紹介しようにも松本が言っていたとおりやりようがない。チョロっとこぼしていた「脱出劇」という触れ込みそのままである。だからそれ以上に何かあるだろうと観た私には思いのほかスッカラカンな印象だった。まるでドロップの缶詰にイチゴ味2、3個しか入ってなかった感じ。なんか伝わりづらい例えだが。随所に差し込まれる細かいギャグ(?)なんかあって、「しょうゆ」のくだりなんか笑ったりしたが、全体的に通して観るとなんともつらいものがある。このつらさは一体なんなのか。もちろん映画のつまらなさから来るつらさもあるが、私にはもうひとつ、「大物になりすぎてしまったが故のやるせなさ」から来るものだとも思う。

 松本人志はもはや説明不要の大物である。そして大物になればなるほど周辺にはブレーン(構成作家)や事務所関係者などの”取り囲み”が群がってくる。松本が何か発すれば”取り囲み”がいろいろ動いてくれる。それに加え松本の場合リスペクトを受けている芸人があとを絶たず、畏怖さえ感じさせて他の大物芸人とは違った特殊さがある。そんな環境が松本の表現をぼやかしているのではないか。この映画にしたって億単位のお金が動いて、それに準じて”取り囲み”を含む多くの人間が動く。しかし松本はあくまで監督と脚本に手をつけているだけでその他の部分では一切関与していない。従って製作全般に関してはコントロールできずいろいろ弊害があって100%思い通りにはできなかったのではないかと思う。宣伝活動で身につけていたあのパジャマを共演者などに突っ込まれると「いやぁ、コレを着けないといけないんで」と断りを入れていた。きっと周り(取り囲み)に言われてのことだろう。

 舞台裏がはたしてそうだったのかどうかは我々の知り得る範疇ではないから、もちろんわからない。こんだけ推測するのは、ただ「松本の力はこんなもんじゃない」と信じたいだけなのだが。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 17:00Comments(2)TrackBack(0)【し】

2009年08月17日

【No.084】やわらかい手


↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’06/イギリス=フランス=ベルギー=ドイツ/カラー/103分
監督:サム・ガルバルスキ
出演:マリアンヌ・フェイスフル 、 ミキ・マノイロヴィッチ 、 ケヴィン・ビショップ 、 シボーン・ヒューレット 、 ドルカ・グリルシュ




今日はいつもの公開中の新作ではなく、CSで見た映画をご紹介したい。

人はどんなに明日が見えない困窮した状況に身をおいても、愛するものを守るためならいかなる仕事もいとわないものだ。たとえそれがフーゾク(性風俗のこと。言わなくてもわかるか)であっても。

自分で言ってて大丈夫かと気にかけてしまうが、今日の映画『やわらかい手』の主人公はそんな切羽詰まった状況でもとにかくがんばる、そんなお話しである。しかしその主人公はなんとおばあさん。稼げる当てが全くないおばあさんが、難病に冒されている孫を救うために偶然見つけたフーゾクの仕事で人肌脱ぐのである。

”人肌脱ぐ”と書いたが、これは慣用的な意味で実際には脱がない。
「しかしババァのフーゾクってぇのはなぁ・・・」と顔をしかめたそこのアナタ、ここで読むのを止めないでほしい。お願い、とにかく止めないで。知りたくはないとは思うがどんな仕事かというと、壁にひとつ穴が空いていて、そこに客である男性がナニを入れて壁の向こう側で握って”ご奉仕”するというもの。劇中でも言っているが、これは日本の歌舞伎町で開発されたものらしい。いろいろ考えるなぁ日本人は。車やカラオケなど世界に誇る文化はたくさんあるが、隠れたところでフーゾクなどの商売も立派な文化として確立しているのだろう。「オナホール」ひとつとっても目を見張る進化を遂げているし。

ついつい日本人のドスケベ文化に関心しきりになってしまったが、そんな性風俗の仕事に従事することになったおばあさんは苦渋の決断で入ったとはいえ、やはり最初はイヤイヤながらぎこちない仕事ぶりをするのだが、人間数を重ねれば慣れるというもの。みるみる上達し片手間に雑誌を広げるまでに成長する。やがて客の間で評判となりギャラもうなぎのぼり。なんとか目標額を工面することができるようになるが、いつまでもうまくいかないのが人生。その先におばあさんを待ち受ける苦難とは。

なんか「身体的リスクを負わないフーゾクとそれを仕事にしてしまったおばあさん」をクローズアップしたような紹介の仕方になっているが、これはフーゾクの映画ではなく、おばあさんが手にした仕事がフーゾクというだけで、労働者階級で生きにくい社会であがいているおばあさんの涙ぐましい生き様が描かれている映画である。だから猥雑さなんて軽い程度だし、ホントこのおばあさんには心打たれる。

これだけ心打たれる要因のひとつにはタイトルの効果があると思う。『やわらかい手』というのは日本のみのタイトルで原題は『IRINA PALM』。フーゾクでのおばあさんの芸名である。これでは初見でなんのことかわからない。で、日本の配給会社はあの仕事内容からあんなどうとでもとれるようなタイトルを編み出すとは。そのセンスたるや、タイトルの妙を感じずにはいられなかった。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 09:00Comments(4)TrackBack(0)【や】

2009年08月12日

【No.083】セントアンナの奇跡



↑イラストをクリックすると本作のサイトへジャンプします。

’08/アメリカ/カラー/160分
監督:スパイク・リー
出演:クデレク・ルーク、マイケル・イーリー、ラズ・アロンソ




8月に入り、夏休み映画がすべて出揃ったようだ。しかしどれも観る気がしない。琴線に引っかからないモノばかり。こんなに心躍らない夏というのは初めてではないか。

ポケモンなどのアニメは例外として、『ボルト』や『モンスターVSエイリアン』などCGアニメは興味ないし、何作目なのかわからなくなった『ハリー・ポッター』は1作目からまともに観たことないし、『ノウイング』や『G.I.ジョー』はCG頼りっきりでどうも関心しないし、『トランスフォーマー リベンジ』なんて1作目のときに疲れたんで二度とご免だし、『アマルフィ/女神の報酬』は(織田裕二主演映画=フジテレビ制作)という図式が成り立っちゃってるから観るまでもない。そして『そんな彼なら捨てちゃえば?』に至っては、観る観ないの問題ではない。誰も観ないだろうと願わずにはいられない。何が男子禁制ムービーだ。予告編見て拳を握り締めたものだよ。観るヤツがいるとしたら”ガールズトーク”っつうのを好む女ぐらいなもんだろう。また困ったことにこの”ガールズトーク”が市民権を得つつある風潮にあるから、それに便乗してあんな軽〜いタイトルにしたんだろう。考案したであろう映画会社の女子宣伝担当らは会議室でお菓子でもつまみながら考えてたんだろうな。「イエ〜イ」なんつって両手でピースしている姿が目に浮かぶ。まぁそこまでバカではないにしても女同士で好き勝手に喋るのは勝手だが、そのノリを仕事に持ち込むな。いつかイタい目に遭うぞ。ま、それは刻々と近づいているがな。

女子宣伝担当らの処遇はどうでもいいとして今日紹介するのは『セントアンナの奇跡』。監督は『マルコムX』『インサイド・マン』のスパイク・リーだ。

一貫してアメリカ社会における黒人の映画を撮り続けていることで知られるこの黒人監督は、なんでも黒人描写が甘い映画には、のべつまくなしにイチャモンをつけることで有名らしい。このあいだ、クリント・イーストウッド(クリ爺)の「硫黄島二部作」で描かれていた戦場に黒人が出ていないなどと執拗に批判したら、寡黙を守っていたさすがのクリ爺も、あまりのしつこさに「黙れ!」と一蹴したと報じられていた。そんな手打ちに遭ったリー監督は面目躍如に打って出たのか(報じられた騒動以前にもう出来上がってたらしいが)、この『セントアンナの奇跡』は「硫黄島二部作」と同じ第二次大戦モノである。

現代ニューヨークで起こった殺人事件。犯人は年老いたマジメな男。犯行の動機を語る時、第二次大戦時、イタリア戦線にいた頃を懐古する。そうして話がさかのぼり、徐々に動機がわかってくるという仕組みだ。

タイトルにもあるとおり、本作のラストでは感動的な奇跡が待ち構えているが、私には冒頭での殺人のくだりの方が確率的に驚くべきことではないかと感じた。映画を観てもらえばわかるが、射殺した”ある男”にいつぞや会うかもしれんと、あの古い拳銃を毎日手入れして肌身離さず隠し持ち、いそいそと郵便窓口で勤しんでいたのか。その犯人の執念もさることながら、そこは世界最大の都市ニューヨークである。人口はケタ違い。ケンタッキー州などとは比べ物にならない。あんなに人が密集しているなかで偶然鉢合わせになるとは。あの”女神の彫像”の思し召しだからいいのか。実際にあったことだからいいのか。それがあってのラストの奇跡に着地するんだからそれでいいのか。まぁ、映画なんだしそこまでイチャモンつけるこたぁないか。書いてるうちに勝手に納得。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。  

Posted by イリー・K at 09:00Comments(2)TrackBack(0)【せ】