2012年11月05日
【No.122】アウトレイジ ビヨンド

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’12/日本/カラー /114分
監督・脚本・編集:北野武
出演:ビートたけし 西田敏行 三浦友和 加瀬亮 小日向文世 中野英雄
巷で出回っている評判なんてものは、逆立ちしても実感が伴わなければ大概メディアが吹聴している戯言だと片付けている私だが、少なくとも「近年の日本映画は活況に呈している」というのは本当だなと今更ながら実感する(制作側の環境が潤っているというより、送り手の製作側に受け手の観客がちゃんと応えていて盛り上がっているという意味で)。気がつけば劇場で観たのは『苦役列車』『夢売るふたり』『あなたへ』そして前回紹介した『桐島、部活やめるってよ』と邦画続き。それにこのブログでも取り上げているのは邦画ばかりである。そんな邦画漬けの私にとって今回取り上げる『アウトレイジ ビヨンド』は今年公開される(された)邦画の中でも期待値は相当なものであった。公開日が近づくにつれ、前作でしきりに使われていた「バカヤロー」「コノヤロー」の怒号がまるで呪文のようにリフレインし、胸が高鳴る一方であった。いつしかそれがひとり言にも伝染。口では発しないが「なんで挨拶なんか無視しやがるんだコノヤロー」「チクショー、渋滞にハマっちまったじゃねえかバカヤロー」「おっ、今日の晩メシは豚汁じゃねぇかコノヤロー」といった具合。私にとってはリアルタイムではないがかつての漫才ブームでトップに君臨したツービートの影響でたけし口調の若者が多くいたと聞く。それから30年を経て似たような現象が再来した感じだ。
映画は期待を裏切らないものだったが、前作で「バカヤロー」「コノヤロー」の乱用によって受け手(私も含む)が示した過剰反応に危惧したのか、今作は自粛気味であった。
待ち望んでいた人たちがこのシリーズに惹き付けられるのは、映画が描かんとするところの「バイオレンス」はもちろんだが、根底に流れるどの映画にも見られない異質な笑いにもあるように思われる。「ゲラゲラ」とか「クスクス」でもないジワーっとにじみ出るような感じ。意図していない(と思われる)真面目なシーンでも妙なおかしみがこぼれてしまう。「意図していないのにおかしい」というのは、真に狙った意図を完全にハズしたことに対する「失敗」を意味する笑いではなく、きちんと狙った通りにキマるが同時におかしみもあるという不思議な化学反応を生み出している。撮ってる北野監督が芸人である故だからだろうか。
その笑いが表れているのはシリーズを支える二本柱「暴言・罵倒等の口ゲンカ」と「暴力描写」である。前者については単純に他人の口ゲンカが好きであるということで納得できるだろう。当事者でない限りそんな場面を目にすると、眠っている(はずの)下世話趣味が刺激され、エキサイトすればするほど釘付けになってしまう。「朝まで生テレビ」があれだけ続いているのは、多少はそこに期待する視聴者がいるからだろう。しかし番組ではエキサイトまで至るところまではなかなかお目にかかれないが、『アウトレイジ』はケンカしているのがヤクザなもんだから四の五も言わずにすぐにエキサイトする。たとえフェイクであろうと罵声を浴びせあうケンカを見るのはやっぱり楽しい。
しかし後者の「暴力描写」に関してはどうしても笑いには結びつかないのになぜ笑みがこぼれてしまうのだろうか。前作の「指入りタンメン」に代表されるような「おっかないことしているのにおかしい」のはどういうわけか。故・桂枝雀師匠が提唱していた「緊張と緩和理論」とはまた違う笑いの現象だし今のところ目下研究中でまったくの謎である。だからこそ我々を惹き付けて止まないのだろう。
映画が持つ二つの柱をシリーズを通して体現しているのが中野英雄演じる木村である。忠義には実直に徹するが、煽られたらつい乗ってしまうのがたまにキズなキャラクターが大いに笑いを我々に提供してくれたものだったが、今作でもあるシーンでそれが炸裂する。私が観た時の場内ではそこが笑いの量が最も多かった。前作と同様に笑いをかっさらった中野英雄には敢闘賞を差し上げたい。

評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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Posted by イリー・K at 02:00│Comments(0)
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