【No.153】ツリー・オブ・ライフ
’11/アメリカ/カラー/138分
監督・脚本:テレンス・マリック
出演:ブラッド・ピット ジェシカ・チャステイン ショーン・ペン
映画監督なんていうのは本人の資質関係無しに映画を撮ることができる幸運に恵まれている人はほんの一握りで映画を撮りたくても撮れない名の無い映画監督だっているのである。考えてみれば1本に数百万、数千万から数億円のお金を要する映画製作に抜擢される確率からしてみれば、はじかれる監督が多く出てくるのは不思議でも何でも無い。日本映画監督協会のホームページを見てみると、会員一覧のページには、有象無象の監督たちがひしめき合っており、私が知っている名は全体の3割にも満たなかった。これだけでも映画監督として世に出る難しさというのがおわかりいただけるかと思う。では、これは余計なお世話の何者でもない話だが、映画が撮れない映画監督というのは普段は何をして生計を立てているのだろうか。
映画に関する雑文をこうして書き綴っている私として恥を忍んで申し上げると東京で映像関係の専門学校に通っていた時期があり、教科担任や講師にはこうした「はじかれる監督」が務めていることがあった。わが母校に限らず、首都圏に集中するこうした映像関係の専門学校にはどこも必ず聞いたことが無い映画監督たちが教鞭をとっている。一度や二度現場経験ある人でもやっているかもしれない。撮影のお声がかかるような有名どころでも映画を撮らない(もしくは何らかの理由で撮れない)ブランクの時期がある。4年空いた森田芳光は競馬のコラムを書いてたらしいし、70年代に活躍した曽根中生という人は行方をくらまして北九州で魚の養殖法を発明していたそうだ。今でもブランクは続いているが。
前置きに延々と本業に携われない映画監督の話をしておきながら実は今回の本題には直接関係がないことをここでお詫びしておきたい。しかも本当はアメリカの映画監督について話したかったのである。その人の名はテレンス・マリック。彼には20年にも渡るブランクの時期があった。そのあいだはフランスはパリで大学の教授をしていたそうな。なぜUCLAとかではなくパリくんだりで教鞭を。並みのインテリでは無さそうだ。長過ぎるブランクと名だたるハリウッドスターたちが出演を熱望するほどの“伝説の巨匠”なんていう話題とともにお目見えした復帰作『シン・レッド・ライン』は太平洋戦線を舞台にした第二次大戦ものであった。同じ頃にヒットした『プライベート・ライアン』と類似しているところから先の話題性も手伝って否が応にも期待は高まったが、ピクニックにでも行っているのかというような映画だった。反戦映画でもないようで感銘なども受けなかったのであくまでうろ覚えなのだが、出ることは出る戦闘シーンよりも主人公兵士の独白のナレーションに南洋諸島の自然の中でさまよい歩いてる画ぐらいしか覚えていない。
そして、ようやく紹介するところまでこぎ着けた『ツリー・オブ・ライフ』である。それではこの映画の良いところの数々を挙げておこう。過去に見た『シン・レッド・ライン』やそれ以前に撮った『天国の日々』と共通して言えることだが映像がきれい。あと、批評家にとってこんなに扱いづらく、なおかつ扱いやすい映画はない。ストーリーらしいストーリーが無いからだ。ふつう映画っていうのはシーンとシーンが重なり、それがひとつに連なってストーリーになっていくものだが、この映画はシーンらしいシーンは数えるぐらい。あとはセリフ無しのカットの数珠つなぎでネイチャードキュメンタリーみたいなカットも含まれている。カットとカットを次々に並べることによって一つの意味を表現するエイゼンシュテインのモンタージュ論を思い出すが意味を汲み取ろうとする余地を与えず、ただ呆然と見るばかりである。然るにこれだけ“グリップ”が緩いといかようにでも解釈が可能である。それにネタバレも何もストーリーはほぼ無いに等しいからどこから観ても大丈夫だ。
この映画は親子の関係を描こうとしているのははっきりわかるのだが、それを道徳や倫理観などを飛び越えて、有史以来受け継がれる生命や遺伝子などの科学的見地、それに宗教などもひっくるめて語ろうとしているのだろう。私のような凡人が感じ取れるのはそこまでだ。あとは高尚過ぎてよくわからない。映画を見ている間はそれこそパリで教鞭をとっていた講義そのものだろう。見たことは無いが。このようなとき人間はどのような反応を示すか。寝るに決まってる。そう、本作は快眠促進映画の一面を担っているのだ。タルコフスキーの映画がよく語られるところだが、それとは異なったタイプである。難解と快眠のラビリンスへ誘ってくれる本作、さすがは教授である。
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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