【No.141】R100
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’13/日本/カラー /100分
監督・脚本:松本人志
出演:大森南朋 大地真央 寺島しのぶ 片桐はいり 冨永愛 佐藤江梨子 渡辺直美
エンドロールが流れた瞬間、もし手にタオルなど持っていたら「どっひゃ〜」と頭上に投げ飛ばしていたかもしれない。こんないかんともしがたい感じを味わうために毎度2年間待ち続けているのだろうか。いや、これまでの作品でいちばんつまらないわけではないんだが、大森南朋の今後の俳優人生で見る事は無いであろうあのあられもない姿を見たあとだから、ひと際その感情が胸に迫ってくる。踏み切られる度に劇場に足を運んでは、観てしまった己を悔いる繰り返しであったが、これからは松本作品の対し方を改めようと思った。
今回で4作目となる『R100』であるが、これではっきりしたのは松本作品は映画として観てはいけないということだ。「ここまで観てきて今頃?」は言いっこなしということで。漫才を発起点としたバラエティやオリジナルビデオ、著作や絵画など形は違えど、映画もあくまでこれは表現手段のひとつであると考えて接した方が良い。さもないと所々で不意打ちを喰らう事になる。今回はそれが特に多かった。
誰もやった事が無い事を「笑い」を通じて表現してきた松本は映画にもその活路を見出さんと、映画ではやったことがないことを試みている。これが松本作品の特徴のひとつである。今回はどのような試みがあったかというと、3次元構造的な造りになっており、一枚の絵として見ていたものに別の面が出現し、交互に見せていくような手法をとっている。ってな具合に説明してみたところで未見の方には何が何だかさっぱりとは思う。まぁ、言ってしまえばSMの話だけではないんである。サイドストーリーがあるとかではなく、別次元の話と言ったらいいのか。さすがは松本監督、「映画」の型には収まらず映画本来の予定調和な着地にはしない。我々の予想を次から次へと裏切ってくれる。SMクラブに入会した主人公が、普段生活する場にどこからともなく女王様が表れてはお仕置き(プレイ)をし去っていく不可思議な光景の連続から「世にも奇妙な物語」の一遍みたいな話なのかと思いきや別の展開を見せ始める。ストーリー進行の軌道がズレるたびにああいう話になるのか、こういう話になるのかとある程度の予想を立てるのだが、あっさりと断ち切られてしまう。まるで迷路で散々行き止まりにぶち当たっているかのよう。仕事場や家庭にも侵入する女王様に我慢ならなくなった主人公は契約を中止するよう電話しても「退会はできない」クラブのルール上、一向にやめようとしない。まさか最後には「これも実はプレイの一環なんですよ」とデヴィッド・フィンチャーの『ゲーム』(‘97)みたいにもならなかった。そのうち普通の人間ならツッコミのひとつやふたつを頭の中で巡らせるんだが、そこでそれをフォローするような展開が待ち受けていたのである。なぜ観てるみんなが思ってる事をなぞらなければならんのか。どう考えたって言い訳にしか聞こえないんだが。結局のところ、全作を通じて指摘される「1アイデアのみでストーリーとしてのつながりがなくミニコントの集積」で終わってしまっているのである。
最後に何度か「行き止まり」にぶち当たった中で「言い訳」には無かった今にして思えばあれは何だったのかという疑問を2つほど吐き出しておきたい。あ、ここまでは具体的な事は触れずに構造的なところで留めておいたので、ここから先、これからご覧になる方はご遠慮願いたい。
(1)劇中で携帯電話は登場せず、外から連絡するときは公衆電話を利用している。主人公が乗る車はひと昔前のクラウンだかブルーバードだかの国産車であるところからこれは現在の話ではなく、主人公の息子の回想録なのかと思ったら現代のシーンに移行する事も息子の姿を映す事も無かった。なんだろうかあの無意味な時代設定。
(2)いろんな女王様が殴る蹴るのシンプルなものから道具を使っての凝ったものまでさまざまなプレイが登場するが(片桐はいりは有り得ないけど)、大地真央が持ち込んでいた大量の手榴弾は本来の攻撃用のものなのか、それともプレイ用か。後者だとしたらどのように使用していたのか。
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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