【No.043】『ディア・ピョンヤン』&『ヒョンスンの放課後』
『ディア・ピョンヤン』
●1月13日鑑賞
’05/日本/カラー/107分
監督・脚本・撮影:梁 英姫(ヤン・ヨンヒ)
『ヒョンスンの放課後』
● 1月27日鑑賞
’04/イギリス/カラー/94分/ビデオ作品
監督:ダニエル・ゴードン
このごろ取り上げる作品は軽めなモノが多く、故に感想が短絡的でていたらくな傾向にあるので、今後のコラム展開にメリハリをもたせるべく、今日はあえて自分に重荷を課してみた。そんなわけで「メリハリ強化キャンペーン」第1弾として取り上げたテーマは「北朝鮮」。こりゃかなり重いゾ。
北朝鮮。言わずと知れた日本に近くて遠い未知のベールに包まれたアジアの一国である。街頭にミサイル搭載車を走らせ、力を誇示する軍事パレード、それを伝えるチマチョゴリ姿のオバさんアナウンサー、野外視察の時はたいていデカいサングラスをかけてる金正日等、私たちがニュースでよく目にする「北朝鮮」である。しかしこれらはあくまで表向きにすぎず、一方では金正日による一党独裁の悪政やら、核や拉致問題やらといった報道もされてきている。
そんな表向きにない「北朝鮮」を暴こうと、よく匿名の海外ジャーナリストが「知られざる北朝鮮の実体」とかいって貧困が絶えないといわれる地域へ潜入し、極秘撮影したという映像がテレビでやってたりする。私が見たのは村を通る貨物列車からこぼれ落ちた炭を必死に拾い集めて売り物にする人々や、手慣れた様子で万引きする小学生にも満たないような子供など、まさに日本の戦後ヤミ市さながらの光景だった。撮影者が匿名だけに信憑性があるとは言い切れないが、それなりにテレビに釘付けにされたものである。
こういう陰の部分を今日紹介する『ディア・ピョンヤン』と『ヒョンスンの放課後』のドキュメンタリー映画2本にささやかな期待を込めた。しかし残念ながらこの期待は全くのお門違いだった。両方ともそういったところは出てこないし、暴こうという意図で作られてもいない。この2作にとって北朝鮮は物語を語る上でのバックグラウンドにすぎない。ああ、ちゃんとチラシを読んどけばよかった。それでもこの2本はそれぞれ違った趣きで興味深く観させてもらった。
まずは『ディア・ピョンヤン』から。朝鮮総連の幹部として北朝鮮に尽力してきた父とその娘で本作の監督でもあるヤン・ヨンヒとの父娘の変遷がこの映画の軸となっている。「変遷」というくらいだからいろいろあるわけで、激動の時代、総連の活動に身を投じた国家主義オヤジと、現代の平和な空気にどっぷり浸かった自由主義娘の価値観がぶつかったかと思えば、父娘ゆえに互いにいたわり合ったりといった複雑な感情が映画の中で交錯する。そんな身内事を10年間カメラを廻し記録してきたヤン監督の勇気と根気と熱意には敬服の念を抱かずにはいられない。そして終盤、病床に伏した父の場面は涙なしには語れない。というのは言い過ぎだが、胸にグッと何かがこみ上げて涙腺が若干緩くなったのは確かである。
そしてもうひとつの作品『ヒョンスンの放課後』。北朝鮮のお家芸?マスゲーム?の大会に向けて日夜練習に励む13歳の少女ヒョンスンらの姿を追ったものである。この映画は一見、少女たちがマスゲームに賭けるひたむきさ、そしてそれを応援する周囲の人々の暖かさといった穏やかなイメージがあるが、時折ハッとするような場面に遭遇する。ほぼ毎晩のように停電があったり、アメリカを「米帝」と言って敵視していたり、(撮影時期がイラク戦争の為)アメリカの奇襲に備えて防空演習が行われていたりとホントただごとではない。そして何といっても映画の最後にあるマスゲーム。あの壮観さにはあまりにスゴすぎて末恐ろしくなる。そのパワーを他のところに向けられないのかと言いたくなるほどの全身全霊ぶりだ。「すべては将軍様のため」だけに一丸となって宙を舞い、踊り狂う少女たちに、国民の連帯感を強いる北朝鮮の怖さを垣間みたような気がする。
ディア・ピョンヤン
ヒョンスンの放課後
ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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