【No.074】題名のない子守唄

イリー・K

2008年02月02日 12:00




’06/イタリア/カラー/121分
監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
出演:クセニア・ラポパルト、ミケーレ・プラチド




 本題に入る前にひとつ申し上げておきたい。

 もういいかげん本編前に挿入される「ラストは明かさないで下さい」といったネタバレ防止コメントは止めにしないか。そんなに口が軽い鑑賞者が日本中に蔓延してるのか。

 『シックスセンス』から脈々と続くこの悪しき風習は、観客にラストへの期待を煽り、結局は大方肩すかしを喰らうという一種の自滅行為にとどまらず、そういう経験を幾多も学習し、また目にしたときには「ハハハ、またかよ」と半笑いにされる状況にまできている。

 しかし、ここへきてもなお、まだこの手を使うのか。しかもジュゼッペ・トルナトーレともあろう人が。おっと、ここから先はネタバレが含まれておりますので、未見の方はお読みにならないように。

 映画館の閉館イベントや回顧上映などではひっぱりダコNo.1と思われる名作『ニュー・シネマ・パラダイス』1本で名匠に登り詰めたトルナトーレ監督。『海の上のピアニスト』や『マレーナ』の成功があるせいなのだろう。あのような前フリを敢えて使ったのは、監督の揺るぎない自信の表れかもしれない。作品を送り出す上での監督として真っ当な姿勢ではあるのだが。

 そんな憶測を巡らせながら始まった『題名のない子守唄』。サスペンスものである。舞台は北イタリア。東欧からやって来た謎の女エレーナ。彼女は忌まわしい過去を背負いながらある思いを胸に、ある裕福な家庭のメイドとなり、やがてその家の娘テアに接近し、しだいに心を通わせていく。彼女はテアが生き別れた娘であることを突き止め、この家にやって来たのだ。この映画は「サスペンス」を身にまといながら、「何事にも屈しない女の執念、そして母性愛」が軸としてある。

 イレーナが忌まわしい過去に追われる緊迫感、そしてメイドになるまでの道程などを通し、その軸が強調されていく仕組みになっているが、最後でなんとテアが実の娘ではないことが判明してしまう。しかもテアが娘だというそもそもの確証が少々甘い。「オイオイ、こんな女の勘違いに付き合わされたんじゃあ、たまんねーよ」と観客(というか私だけかな)はそっぽを向くところだが、イレーナはここまできたらいっそのこととテアに対する寵愛ぶりをエスカレートさせていくのである。ああ、母(違)の愛は強し。

 この辺の目くらましに近い畳み掛け方は見事なものである。さすが名匠。

 そして、何だかんだと一悶着があった末に訪れるほっと息をなで下ろすエンディングで、“異人女の大いなる勘違い”になりかねないところを“過ちや悲劇を乗り越えた執念の女と女の子の絆”に収束する。

 と、まあ映画を見通しても肩すかしとまではいかないが、ネタバレを危惧するほどのオチなのかと甚だ疑問ではあるが、終わり良ければすべて良し。トルナトーレ監督の次回作を大いに期待したい。もちろん余計な前フリはナシよ。



ボン評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

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