てぃーだブログ › 激烈シネマニアン! › 【か】 › 【No.171】カルメン故郷に帰る

2015年04月16日

【No.171】カルメン故郷に帰る

【No.171】カルメン故郷に帰る

’51/日本/カラー/86分
監督・脚本:木下惠介
出演:高峰秀子 小林トシ子 笠智衆 佐野周二 井川邦子 佐田啓二


 認識として話題性とか実績などが一人歩きして肝心な中身が抜けていることがある。この『カルメン故郷に帰る』(’51)は日本初の国産フィルムによるカラー映画として知られている(厳密には1937年に作られた『千人針』が最初らしいがこちらの使用フィルムは国産ではない)が、では、どういったストーリーなのかを知っている人は案外少ないのではないだろうか。かくいう私もその1人で知識にとどめる程度でどんな話なのかは考えもしていなかった。話は大したものではなく田舎から飛び出した娘が都会で成功し一時帰省して一騒動を起こし都会へ帰っていく、ただそれだけの話である。やはりそれよりも本作がしょっている歴史的価値のほうがデカすぎて私はそっちモードで映画を見てしまった。1950年制作、そうとう古い作品だ。年数を提示してもいかに古いかピンと来ない人は出演者に中井貴一の親父(佐田啓二)がいると聞けばちょっとはわかるだろう。それでもわからなければ関口宏の親父(佐野周二)もいるというのはどうだ。

 後年は女優業を引退しエッセイストとして活躍した高峰秀子の著書「わたしの渡世日記」に当時の制作エピソードが紹介されているがそれを頭の片隅におきながら鑑賞してみると面白い。

 映画の最初のシーンは真っ青な空そして山々や草原の緑地が広がる浅間山の風景が映し出される。ストーリーはほとんどこの青空のもとで展開される。かなりの光量が必要だった開発したばかりのカラーフィルムの都合によるものである。青や緑、あと地元民の衣服がくすんだ茶色(農民)やグレー(教員)などで統一された世界に娘(高峰)が友達を連れて帰って来る。「芸術家」と称した成功者の娘と友達の出で立ちがケバケバしいことこの上ない。滞在中はその“かぶれた”衣装を取っ替え引っ替えするのだがどれもあらゆる原色を取り入れた派手さで見ているこちらの目がチカチカする。娘の本職はリリー・カルメンと名乗るストリッパーでストリップを「芸術」と信じて疑わない。日本で初めて使用するカラー映画の特性を本作は地元の色と娘らの衣装の色の対比によって表れる娘のエキセントリックさに生かしたのである。

 幼少時に牛に頭を蹴られてからおかしくなったと嘆く父をよそ目に友達と村中を闊歩する娘。風光明媚な高原をバックにほぼ下着姿で扇情的な舞いをする2人の図。田舎の空疎なところが娘のどこか抜けている感じとマッチしていて本作の世界観が際立っている。前出の著書によれば、フィルムの発色の関係から黄色みが強い日本人の肌は黄色が目立つのでそれを抑えるドーランを塗っていたそうだ。ほぼ半裸であるこのシーン、やってることは「お笑いウルトラクイズ」で全身銀粉まみれでマラソンしている芸人と大差ないのである。

 演者やスタッフの涙ぐましい苦労の末に完成した本作は、内容よりも歴史的価値として見られることが多い気がするが、よく考えてみると、日本初というからには社運をかけて取り組んだこの試みにストリッパーを主人公にするとは制作した松竹はよくぞOKを出したものだ。戦後5年後の性風俗はよく知らないが伝え聞くところでは額縁ショーから発展したストリップショーが男性の性欲発散の対象だったのだろう。今風に言えば初めて3D作品を作るのにAV女優とか風俗嬢を主役にするようなものだろう。ヌードを写すのはまだまだ先の話だった当時としては本作のあの露出は刺激を与えるレベルだったのだろうか。プルッとたるんだ高峰秀子の二の腕に興奮を覚えた男性諸氏がいたかもしれない。

 ちなみに続編にあたる『カルメン純情す』はなぜかモノクロである。娘のエキセントリックさは説明済みでのカラー撤廃だったのかは知る由もない。しかしカラーに代わる新手法のつもりだったのかほとんどカメラアングルが傾いている。で、不思議なもんで見てるうちに気づいたらこっちも頭を傾けているのである。さぞかし頭を傾けた観客で埋め尽くされた劇場が続出したことだろう。見てみたかったなぁそれ。
【No.171】カルメン故郷に帰る
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。




Posted by イリー・K at 14:42│Comments(0)【か】
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。