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2015年04月01日

【No.169】野のなななのか

【No.169】野のなななのか
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’13/日本/171分/カラー
監督・脚本:大林宣彦
出演:品川徹 常盤貴子 村田雄浩 松重豊 安達祐実


 大林宣彦という人と同じ時代に生き、発表する作品を享受できるのは喜ばしいことかもしれない。巨匠クラスの監督(特に欧米)に多く見られる蓄えたヒゲ、パーマがかったミドルロングヘア、物腰柔らかい語り口、何十年も変わることなくすっかりなじみ深いものになっているあのルックスから漂うやさしそうな雰囲気とはうらはらに発表する作品といえば観る者を揺さぶり続けるものが多い。作品がいわんとする芯の部分ではなく表層的なレベルでのスタイルにおいてである。一言でいえばヘンテコ。鑑賞後しばし放心状態から抜け出せなかった『漂流教室』は以前、このブログで紹介した通りである。その後は『異人たちとの夏』や、やっとこさ『時をかける少女』を見たが、油断のならない出来だった。監督は鑑賞者を一度抱きついては離さないのである。

 ここ最近の監督は「ふるさと映画」と銘打って地域に密着した映画作りにご執心らしく、新潟を舞台にした『この空の花〜長岡花火物語〜』は冒頭からフルスロットルである。登場人物が観客に向かって喋りだし拍子抜けさせたところから始まり、めまぐるしく変わるカットに次から次へと表示される補足情報字幕。五感をフル稼働しないとついていけないんじゃないのか、そんな大げさな思いに駆られてしまうほどの一作であった。それに次ぐ今回紹介する『野のなななのか』の舞台は北海道・芦別町である。

 92歳という大往生でこの世を去った鈴木光男(品川徹)の告別式と葬儀の準備をするために散り散りに暮らしていた親族が一同に集まる。そこへ清水信子と名乗る女(常盤貴子)が現れる。光男が元々院長を務めていた病院で看護婦をしていた彼女によって、しだいに光男が太平洋戦争末期に起こった旧ソ連侵攻に巻き込まれた過去が明らかになり、そこに綾乃という女(安達祐実)の存在が浮き彫りになる。タイトルにある「なななのか」とは地元では四十九日という意味である。

 作品を見る度に大林監督はとてつもない人だという感慨を新たにするばかりで本作は3時間近い長丁場である。もうヘトヘト。インターミッション(休憩)を入れない容赦のなさである。前段落であらすじを書いてはみたものの正直咀嚼しきれていない。2度観ることをおすすめする。映画の鑑賞後に劇場入口を出るとなんとそこに本作で重要な役どころを担っている内田周作氏が観客一人一人に挨拶をしていた。そういえば公開の前後に来場を呼びかける新聞記事を目にしたことがあったし、本作にかける意気込みは相当なものだったのだろう。ついさっきスクリーンで見た人が目の前にいる。急に舞い上がって思わず「面白かったです」と言ってしまった。そしたら握手を求められて何か心もとない気持ちになってしまった。いや、あれはすぐに感想は出てこないよ。実は今書いているこのときもまだわからない。面白い、面白くないの次元ではない。ただ何か形容しがたい刺激を全身に受けたのは確かだ。

 前作『この空の花』と同様、本作も意欲的かつエネルギッシュであることに誰も異論を挟む余地はないだろう。ストーリー云々の以前に大林監督の理想や主義主張がはみ出しちゃっているのだ。もうそれを受け止めるのに“労力”を要するのである。光男が院長を辞めたあと古物商を営んでいてその店名が「星降る文化堂」だって。「院長続けてりゃいいのに」と考えてしまう哀しい現実を生きている我々の性を打ち砕かんばかりに次々に出て来る一点の曇りもない登場人物たち。大林監督はきっと人間を信じているんだろう。遺産相続の話など一切なかったし。ただひとつ意外だったのは大林映画に出て来るヒロインって健康的なイメージがあったのだが、タバコを吸っていたのは私の中にはないものであった。『異人たちとの夏』の名取裕子でさえも吸っていなかったというのに。いや、吸ってたかな。吸ってたら謝ります。それくらい違和感があったもので。

 ま、何はともあれ本作に限らず、多少の体力は必要な大林映画にはちょっとしたカロリーが消費できるかもしれない。プチダイエットには打ってつけかも。
【No.169】野のなななのか
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。




Posted by イリー・K at 22:40│Comments(0)【の】
 
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