2015年01月19日
【No.166】メビウス
アジアのなかでも発展著しい韓国映画で唯一無二ともいえるキワモノに位置づけられているのがキム・ギドク監督である。人間が持ち得るどうしようもない負の側面。まぁよく言われるところの業の深さとでも言うんでしょうか、そういったものを残酷描写や性描写であぶり出すような作風で知られている。が、ことに残酷描写においては韓国映画のお家芸でもあるし、他にもごまんといるが、この監督が明らかに浮いちゃっているのは登場人物の行動にしろ、その描写にしろ唐突かつ突飛なのである。「何やってんだ」と言ってやりたくなること度々。懇々と説明してきた私は実は食わず嫌いで最近まで観たことが無かった。あれは10年以上も前になるが、初期の作品で当時話題になった『魚と寝る女』の紹介にあったある表現「釣り針を使って×××」に何やってんだというツッコミとともに嫌悪感を催し、それ以来ずっと敬遠していたのである。それがあれよあれよと世界的な評価が上場し、ついにベネチアで金獅子賞を獲得した『嘆きのピエタ』が私が初めて観たギドク作品だった。
世評通りの残酷描写には目を背けることもあったし、主人公の不自然なアイラインや登場人物らの行動に首を傾げてしまうところは無いことは無かったが割と抵抗は無く観ていられた。主人公がある行動をとるラストには画的には単純に美しく感じられたし、ともあれ数々のギドク作のなかではビギナーズラックであったといえるだろう。
しかし、最新作の『メビウス』である。耳にも入ってきた無言劇であるという事前情報で極力遮断し観てみたのであるが、いやぁ、今回ばかりは地雷に当たってしまったようだ。年明け十日を過ぎても抜けきれなかったお正月ボケを一気に吹き飛ばされたな。
夫婦一組に思春期を迎えた息子の一家族、朝食はみんな別々の部屋で摂っている。浮気をしている父に母は度を超したヒステリー状態にあり、父の携帯電話が鳴るや母は取り上げようとするが父も必死に抵抗し取っ組み合いのケンカになる。一方息子には溺愛しているように見え、通学で見送る際にもいちいち抱擁する。浮気現場も実際に目にし浮気相手にも嫌がらせをする母だったが、ついには父にある凶行を試みる。夜寝静まったところにナイフを片手に忍び込んでズボンを下げようとする。このように、映画開始から無言のまま話が進んで何が起こるのかと見守っていたら、まさかの男根喪失映画であった。
その手の類いといえば、言わずと知れた『愛のコリーダ』やたぶん誰も知らない『吐きだめの悪魔』(男根フットボール)ぐらいしか見たことが無い。あと『21ジャンプストリート』(悪徳教師が股間を撃たれる)もあったか。でもそれらはあくまで劇中での登場人物の一行動に過ぎない程度の描写であったわけで、本作のように真っ正面からクローズアップしているのはおそらく世界で類を見ないのではないだろうか。浮気への怒りから説得や慰謝料請求などを通り越してチン●コをチョン切っちゃおうという母の行動と引けを取らず本作におけるギドク監督のテーマ選びは唐突である。時にはモラルをも超越する人間にとって抑えがたい性欲を諫めるテーマを内包した作品は数あれど、その手段として直接的に男根喪失に結びつけるのは卑怯な気もする。しかし扱うには充分に気をつけないと行けないものだけに勇気が必要でもある。何せチ●コだから。
男根喪失で驚かせるだけでギドク監督は終わらせない。そこから先はギドク監督独特の「何やってんだ」の応酬が始まる。ストーリーに話を戻すと父の去勢にそのまま成功するかと思いきや瞬時に起きた父の返り討ちにあってしまい、母はどういうわけか息子の部屋へ移動し寝ている息子のモノをチョン切ってしまうのである。気が動転した父とまたもや取っ組み合いのケンカの末に母は失踪。病院へ搬送・手術のあと喪失したショックに暮れる息子を見かねた父はもとは自分の浮気が原因であることから責任を感じ、自分のモノを息子へ移植できないかとネット検索を始める。ここであらすじ説明はやめておくが、窓の外や音声が遮断された空間ではベラベラ喋ってるのにカメラの前では絶対喋らないことで貫く無言劇の不自然や、母が戻ってきても父子は一切責めないだとかいったおかしなところが多すぎる。作品全体はギドク作品おなじみのどんよりしたシリアス調なのにやってることが「失ったチ●コをめぐる冒険」なので男性としては幾度か下半身がヒヤッと反応しつつも「しょがねぇなぁ」という笑いが延々こみ上げてしまう。でも劇場内で男性は私だけだったのか周りは誰一人笑っていなかった。だから声をずっと押し殺していたんだけど。
事実、男性なら賛同いただけると思うが、何かと煩わしいと感じることがあるのであるチ●コというのは。学生時分、どうしようもない性欲に駆られて放課後自宅へまっすぐ帰るはずが、お目当てのエロ本を求めて古本屋という古本屋を巡っていたのが今でも忘れられない。あのエネルギーを学業に注ぐことは出来なかったのかと悔やんでしまう。こいつがなくなればいいのにと。まぁ、チ●コなくなっても性欲は消えないが
あと、母と父の浮気相手を演じている女優が一緒であるのを乳房の形でわかったんだが、あれは豊胸だろう。男根を移植しているのと対という意味を持たせるためのキャスティングだったのだろうか。そんなわけないですね。

評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
世評通りの残酷描写には目を背けることもあったし、主人公の不自然なアイラインや登場人物らの行動に首を傾げてしまうところは無いことは無かったが割と抵抗は無く観ていられた。主人公がある行動をとるラストには画的には単純に美しく感じられたし、ともあれ数々のギドク作のなかではビギナーズラックであったといえるだろう。
しかし、最新作の『メビウス』である。耳にも入ってきた無言劇であるという事前情報で極力遮断し観てみたのであるが、いやぁ、今回ばかりは地雷に当たってしまったようだ。年明け十日を過ぎても抜けきれなかったお正月ボケを一気に吹き飛ばされたな。
夫婦一組に思春期を迎えた息子の一家族、朝食はみんな別々の部屋で摂っている。浮気をしている父に母は度を超したヒステリー状態にあり、父の携帯電話が鳴るや母は取り上げようとするが父も必死に抵抗し取っ組み合いのケンカになる。一方息子には溺愛しているように見え、通学で見送る際にもいちいち抱擁する。浮気現場も実際に目にし浮気相手にも嫌がらせをする母だったが、ついには父にある凶行を試みる。夜寝静まったところにナイフを片手に忍び込んでズボンを下げようとする。このように、映画開始から無言のまま話が進んで何が起こるのかと見守っていたら、まさかの男根喪失映画であった。
その手の類いといえば、言わずと知れた『愛のコリーダ』やたぶん誰も知らない『吐きだめの悪魔』(男根フットボール)ぐらいしか見たことが無い。あと『21ジャンプストリート』(悪徳教師が股間を撃たれる)もあったか。でもそれらはあくまで劇中での登場人物の一行動に過ぎない程度の描写であったわけで、本作のように真っ正面からクローズアップしているのはおそらく世界で類を見ないのではないだろうか。浮気への怒りから説得や慰謝料請求などを通り越してチン●コをチョン切っちゃおうという母の行動と引けを取らず本作におけるギドク監督のテーマ選びは唐突である。時にはモラルをも超越する人間にとって抑えがたい性欲を諫めるテーマを内包した作品は数あれど、その手段として直接的に男根喪失に結びつけるのは卑怯な気もする。しかし扱うには充分に気をつけないと行けないものだけに勇気が必要でもある。何せチ●コだから。
男根喪失で驚かせるだけでギドク監督は終わらせない。そこから先はギドク監督独特の「何やってんだ」の応酬が始まる。ストーリーに話を戻すと父の去勢にそのまま成功するかと思いきや瞬時に起きた父の返り討ちにあってしまい、母はどういうわけか息子の部屋へ移動し寝ている息子のモノをチョン切ってしまうのである。気が動転した父とまたもや取っ組み合いのケンカの末に母は失踪。病院へ搬送・手術のあと喪失したショックに暮れる息子を見かねた父はもとは自分の浮気が原因であることから責任を感じ、自分のモノを息子へ移植できないかとネット検索を始める。ここであらすじ説明はやめておくが、窓の外や音声が遮断された空間ではベラベラ喋ってるのにカメラの前では絶対喋らないことで貫く無言劇の不自然や、母が戻ってきても父子は一切責めないだとかいったおかしなところが多すぎる。作品全体はギドク作品おなじみのどんよりしたシリアス調なのにやってることが「失ったチ●コをめぐる冒険」なので男性としては幾度か下半身がヒヤッと反応しつつも「しょがねぇなぁ」という笑いが延々こみ上げてしまう。でも劇場内で男性は私だけだったのか周りは誰一人笑っていなかった。だから声をずっと押し殺していたんだけど。
事実、男性なら賛同いただけると思うが、何かと煩わしいと感じることがあるのであるチ●コというのは。学生時分、どうしようもない性欲に駆られて放課後自宅へまっすぐ帰るはずが、お目当てのエロ本を求めて古本屋という古本屋を巡っていたのが今でも忘れられない。あのエネルギーを学業に注ぐことは出来なかったのかと悔やんでしまう。こいつがなくなればいいのにと。まぁ、チ●コなくなっても性欲は消えないが
あと、母と父の浮気相手を演じている女優が一緒であるのを乳房の形でわかったんだが、あれは豊胸だろう。男根を移植しているのと対という意味を持たせるためのキャスティングだったのだろうか。そんなわけないですね。

評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
Posted by イリー・K at 01:29│Comments(0)
│【め】