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2014年03月29日

【No.151】ロボコップ('14)

【No.151】ロボコップ(14)

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’14/アメリカ/カラー/117分
監督:ジョゼ・パジーリャ
出演:ジョエル・キナマン ゲイリー・オールドマン マイケル・キートン サミュエル・L・ジャクソン

 警察官ロボットという触れ込みから頭に思い描いていた赤毛ものの「宇宙刑事ギャバン」的なものとはほど遠く、子供向けの特撮ヒーローものには決して見られない強烈なバイオレンスの応酬に「ギャバン」以上の映像技術、そして何よりサイバーメタルの容姿とあの動きは一緒に見ていた兄を虜にし、『燃えよドラゴン』のブルース・リーよろしく帰宅後晩メシの支度をしている母の横で延々マネをしていた。これが『ロボコップ』を劇場に観に行った日の記憶である。その後世界中で幾人ものロボコップもどきが生まれ、香港ではキョンシーと対決させ、日本でも中村あずさが演っていたのは余計な記憶である。それから気がつけばもう四半世紀の歳月が過ぎていた。そんなときにまさかのリメイク版の公開である。

 いつまで続くのかわからないがここ2、3年は70〜90年代のヒット作のリメイクが立て続けに作られている。『死霊のはらわた』の改悪ぶりは以前紹介した通りだが、その他『トータル・リコール』や『キャリー』など未見だがあまりいい評判などは耳にしない。まぁ、「リメイクのほとんどは愚の産物」というジンクスが頭をもたげているせいもあるが、『ロボコップ』リメイク版にはもう不安しか残らない。影響力は計り知れないオリジナル版を超えられるはずがないことは重々承知である。一生リメイク版を観ずに何者にも侵されない“私のロボコップ”を心の中に閉まっておく。そういう生き方もあるだろうが今日取り上げたということは観ちゃったというわけで、わかっちゃいるけどやってしまう自滅精神には我ながら泣けてくる。

 このリメイク版、オリジナルを知らずに単体として観るならば、無難なSFアクション映画として一定水準の満足は得られると思う。しかし、元となったオリジナル版を後に見るときっとぶっ飛ぶだろう。要するにリメイク版はオリジナル版から受け継いだ要素がすべて薄いのである。バイオレンス描写はもちろんのこと悪役キャラが持っていたアク、突然ロボットとして蘇ったゆえに待ち構える悲劇、オリジナルでは大きな見せ場のひとつだった主人公マーフィーがロボコップとして再生するきっかけが「え、そんなところで」と拍子抜けしてしまった。ロボコップの容姿にしたって全身を黒く衣替えし、特殊技術は格段に進歩したおかげでスマートかつ身軽にはなっているものの、オリジナルで感動させた仕掛けがほとんど無い。 

 このように、各々の要素が薄まった分補ったつもりなのかはわからないが、リメイク版ではオリジナルには無かった新たな要素を加えている。それはヒーローを担うロボコップとその開発者との関係性である。オリジナル版では開発チームとして画面に映り込む程度で開発者をはっきりと明示していなかったが、リメイク版ではゲイリー・オールドマン演じるノートン博士が開発者として登場する。かつて鳴らしていた“悪役の権化”から新生バットマン3部作でヒーローの肩を持つ善玉役がすっかり板についた感があるが、ご多分に漏れず本作でもヒーローに対してはまぁ優しい優しい。律儀に家まで送り迎えするぐらいである。開発会社の手先である故、不本意ながらも上層部に従ってロボコップをつらい目に会わせてしまい苦悩を浮かべる表情なんかは“悪役の権化”だった頃からは想像がつかない。

 こういう見方をするのはいささか幼稚で気が引けてしまうのだが、本作においてのヒーロー(ロボコップ)と開発者(ノートン博士)はアンパンマンとジャムおじさんに重なって見える。決してアトムと天馬博士ではない。両ヒーローとも同じ脱着式であることからその確証を深くした。悪と戦ってどんなに損傷し弱っていてもパーツ交換で元気100倍!というわけだ。

 制作者はアンパンマンのことを知らないかとは思うが、計らずもやなせ先生の遺志がこんなところで息づいていたのである。
【No.151】ロボコップ(14)
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。


Posted by イリー・K at 09:05│Comments(0)【ろ】
 
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