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2013年12月25日

【No.146】地獄でなぜ悪い

【No.146】地獄でなぜ悪い
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’13/日本/カラー /129分
監督・脚本:園子温
出演:國村隼 堤真一 二階堂ふみ 星野源 友近 長谷川博己

 いかに愛しているかの度合いを表す文句として「◯◯のためなら死んでもいい」というのがある。相手に訴えかけるときなどに用いられるがドラマや映画など創作の物語(それもひと昔前の)などで聞かれたもので実生活で耳にすることはほとんどない。冗談めかして言ったりするだろうがそれも希少であろう。ま、非現実的な文句ということであるが、これを究極の形で体現したのがこの『地獄でなぜ悪い』である。

 「◯◯」に入るのは映画。これまでも「映画愛」をうたった映画なんてのは廃棄処分するほど多く存在する。その多くはどこかセンチメンタリズム溢れる傾向にあるが、本作はバイオレンスでかつクレイジーなメチャクチャさで弾けまくっている。涙よりも血で訴えようというわけである。

 バイオレンス仕立てにしたのは主人公を映画女優志望の娘を持つヤクザの組長に据えてのことである。その組長こと武藤は釈放を数日後に控えた獄中の妻のため、娘主演の映画の完成を約束しているが、いまだその見通しは立っていない中、敵対する池上組との抗争が再燃。そこで組長はいっそのこと池上組への殴り込みをかけるとともに撮影をして映画にすることを思い立つ。しかし肝心の娘が逃亡。捜索の末、娘と一緒にいた青年とともに連行し、娘に恋人のフリをするよう偽装しただけで何も関係ない青年は組長に斬り殺される寸でのところで娘は彼を映画監督だと偽る。そうなれば話は早いと早速映画製作に取りかかるも映画製作など何も知らない青年は発狂寸前で逃走。すぐさま捕まるがその時偶然見つけた自主映画集団「ファックボンバーズ」に製作を依頼する。

 いくらフィクションのなかの世界とはいえ、正気の沙汰とは思えない話である。まぁそもそもヤクザの殴り込みという殺し合い自体がそうなんだが、それを映画にしようと言うんだから予告編を観たときから「マジかよ」と面食らってしまった。とにかく出てくる連中が巻き添えを喰らう青年以外は大バカ野郎ばかりである。そして殴り込み撮影に参加するファックボンバーズ。リーダーは「歴史に残る映画を撮りたい」「金のために映画は作らない。そんなやつは映画をダメにする」といった熱弁をまくしたてるが、やっていることといえば街に繰り出しては演者らに生卵をぶつけ合ったり、ブルース・リーもどきのアクションなどをキャッキャしながら撮っている。かと思ったら血まみれのヤクザが歩いていたら演者をほったらかしてそっちにカメラを向ける。面白ければ被写体は何でも良いらしい。目標としている「歴史に残る映画」とはこういうことなのか。そんな彼らに訪れた映画撮影のチャンスとはいえ危険極まりない撮影でも承諾するのである。ポスト原一男でも目指しているのか。カメラの前で実弾を一発発砲するのとはわけがちがう(『ゆきゆきて、神軍』より)。もう救いようがないバカばっかしなんだが、しかしやつらはそれ以上に魂がある。どんなに血みどろの様相を呈した現場になっても嬉々として撮るクルーたちのまなざしを見よ。ファックボンバーズの連中なんかいつものようにキャッキャしている、いやそれ以上にはしゃいでいる。全体的にバカバカしく、アラもけっこう目立つ映画なんだが、「映画のためなら死を覚悟してでも撮りましょう。たとえバカのそしりを受けようとも」というやつらの魂が突き抜けてしまって気にならなくなってしまう。「しょうがねぇなぁ」ってな感覚を持って。

 実は本作が私にとって初めて観た園子温作品である。今では世界的名声を獲得しつつあるらしい位置に経っている同監督でも詩を書いたりAVに出たり、街で様々なパフォーマンスをしたりと多くの苦労を経験した人らしい。ファックボンバーズは自身の経験を投影したものらしいが、警察の扱いをあのようにしたのはゲリラ的な映画製作には何かと国家権力は邪魔くさいという監督の愚痴というふうに私は受け取った。「映画を撮り始めた理由のひとつは警官を殺したかったから」という故・若松孝次監督のインタビューを思い出した。映画製作によってそれを憂さ晴らししたように、あそこまでメチャクチャにするなら打ち破って欲しかったという気もする。

【No.146】地獄でなぜ悪い
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。


Posted by イリー・K at 09:12│Comments(0)【し】
 
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