2012年12月01日
【No.123】さよならジュピター

’84/日本/カラー /129分
原作・脚本・総監督:小松左京
監督:橋本幸治
出演:三浦友和 ディアンヌ・ダンジェリー 小野みゆき レイチェル・ヒューゲット マーク・パンソナ
以前取り上げた『漂流教室』もそうだが、日本が作ったSF映画の多くはことごとくダメである。実はそんなに見てはいないので非常に乱暴ではあるがハッキリと断言したい。『ガンヘッド』『クライシス2050』『テラ戦士BOY』(どれも未見。恐くて。なかでも最強なのは『宇宙からのメッセージ』)など、今の日本映画が活況にあるのはこれら死屍累々とした屍の上に成り立っているのかもしれない。
実際のところはよく知らないが、SF映画だから食い付きがいいだろうということでただ単に海外のヒット作を真似たものだったり、やたらと特撮ばかりに固執したり、客寄せパンダにアイドルを起用したりと目先の利に狂わされて作った末に討ち死にに遭うのだろう。しかし今回ご紹介する『さよならジュピター』の製作陣には『日本沈没』を著した日本のSF小説の大家、小松左京先生が総監督として名を連ねている。やっぱりSF映画作るんだったらちゃんとした専門家に任せなくちゃあ。
西暦2125年、人口が100億人を超えた地球。ますます膨張する人類を他の惑星に移住する時に備え、それに必要な太陽に代わる第2のエネルギー源を木星に目を付け、国家間を飛び越えた地球規模の開発プロジェクト「JS計画」が発足する。しかし、それを阻止せんと環境保護団体「ジュピター教団」が妨害を加え続け、プロジェクトの責任者である三浦友和は頭を悩ませる。ある日、ジュピター教団のメンバーが、来賓客に混じって、プロジェクトの宇宙船に潜入し、機器を破壊しているところを友和らに捕らえられる。そのなかには友和のかつての恋人マリアがいた。一方、宇宙の彼方にブラックホールが発見され、このままだと巨大化を続け地球を飲み込んでしまうことになる。そこでこの危機を回避するために木星を爆破し、軌道を変えることによって地球から遠ざける提案が挙げられ即採択。プロジェクトは木星エネルギー開発から一転木星爆破に切り替わり、ジュピター教団の妨害は武力を使い、より過激さを増していくのであった。ブラックホールがいよいよ地球に迫るなか選択するのは任務かそれとも愛か。果たして友和とマリアの運命は如何に。
壮大なる宇宙の危機のなかで試される二人の愛が大きな中核となっているこの『さよならジュピター』はハンカチなくしては見られない映画である。涙が出るほど情けなくて。
左京先生がおそらくこの映画を通じて伝えたいのは脈々と受け継がれているすべての生命の源流を辿れば、地球があり、その他の星々を形成する宇宙がある。いわば宇宙は我々が与えられた生命、いや森羅万象のすべての創造主である。よくわからないが、そういったようなメッセージを10億円もの巨費を投じて描きたかったのだろう。左京流の“スペース・オデッセイ”として。
しかし、この大作が世に出たあと人々の記憶に残ったのは友和とマリアの無重力セックスである。先述したように思わぬところで再会した二人は人目を忍ぶように長い廊下を駆け抜け、その先にある休憩室で熱い抱擁と接吻を交わす。エクスタシーが絶頂に達したあと、二人はいつの間にか生まれたままの姿で広大な宇宙空間にフワフワと漂っている。ソフト・オン・デマンドがやりたくてもなし得なかった映像である。よく一般に名作と認知されている昔の映画を評するときなどに「映像遺産」なんていう言葉が使われたりするが、こういうものがいちばん適しているのではないだろうか。使っている意味は映画の中身全体を指しているのではなく「記録」的な意味で。これを見てしまった私はしばらくはどんなに辛い目に遭っても、この映像を脳内再生することによって乗り越えられるかもしれない。
しかし制作費が10億円だけあって特撮部分は特筆に値する。さすがゴジラを生んだ東宝特撮部だけあって出色の出来栄えである。しかし本作でも「日本のダメなSF映画」の例に漏れず、マリア役をはじめとした多くの無名外国人が大挙して出てくる。しかし、他と違うのは劇中に出てくるある装置のおかげで「安さ」が際立っているところだ。その装置とは「自動翻訳機」。ブローチ型で耳にかけるだけで相手の言葉がわかるという機能を持っている。友和とマリアはコレを使ってコミュニケーションをとっているが、その様子を見ると二人とも日本語を喋っている。友和側から見た描写なのだろう。しかしマリアの台詞はモロ吹き替えのようになっており、テレビ放映の洋画を見ているのと変わりないのである。だから「安さ」が尋常ではない。それに加えて無重力セックスときたもんだから東宝特撮部の面目は丸つぶれだ。
原作ありきの映画で評価は高いが原作者は納得していないものは多くある。『シャイニング』しかり『カリオストロの城』しかりで、この映画を見てそういうことなのかと思った。つまり原作者が映画製作まで手を出すと、おおよそろくなものにならないということだ。原作が持つ質がそのまま映画の質には繋がらないのである。もう見たあとは「ヒェ〜。」と言う他ない本作はそういった事例のサンプルとして後世に残すべきだろう。金かかってんだから。

評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
Posted by イリー・K at 02:47│Comments(2)
│【さ】
この記事へのコメント
この映画は発想は面白いと思いました。
監督を選べば成功したかも知れません。
監督を選べば成功したかも知れません。
Posted by 下等醜呆 at 2013年11月03日 06:48
>下等さん
監督によりけりな題材かもしれません。
今なら山崎貴あたりが妥当かもしれませんね。というか返答遅すぎですね。
監督によりけりな題材かもしれません。
今なら山崎貴あたりが妥当かもしれませんね。というか返答遅すぎですね。
Posted by イリー・K
at 2014年03月02日 21:19
