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2011年11月08日

【No.110】パラノーマル・アクティビティ

【No.110】パラノーマル・アクティビティ

’07/アメリカ/カラー /86分
監督・脚本・制作:オーレン・ペリ
出演:ケイティー・フェザーストン、ミカ・スロート、マーク・フレドリックス


 これは全世界共通なのかはわからないが、少なくともアメリカの自主映画で多く作られるのはホラーらしい。「予算が安くて済むから」なのだそうだが、昔から金と手間ひまが最もかかるのはホラーだとばかり思い込んでいた私には、どこがどう安くて済むのかよくわからない。しかし現実には、わずか日本円で3千円余りで作られたらしい『コリン』というゾンビ映画がちょっと話題になったし、それに加えて近年、撮影機材が手軽に使えるようになったということもある。かつては露光計で被写体とキャメラの距離を計り、キャメラのレンズを絞ってフィルムを回し、音声はマイクを調節したりと手間の連続だったものが、今では20万もしないデジタルカメラとパソコンの編集ソフトさえあれば、そこそこのものは撮れる時代である。結婚披露宴なんかで流される余興ビデオを見るとそれがよくわかる(もちろん出来はピンからキリまであるが)。

 だが、そんな時代にあって懸念してしまうのは、映画(ビデオ作品も含む)製作の手軽さに比例して、内容もこれまた軽くなっていくという問題がある(もちろんすべてとは言わないが)。ビデオ上映会や結婚披露宴など個人レベルでお目にかける分には問題ない。これが観客から金をせしめて劇場にかけ、さらにはDVD化してレンタル屋やセルショップで金をふんだくる現実がある。それを象徴したような映画が先日第3弾が公開されたばかりの『パラノーマル・アクティビティ』だ。ケーブルテレビで見た私があんまりエラそうには言えないが、こんな愚作は人からお金を巻き上げてはいけない。

 夜な夜な超常現象に悩まされている夫婦が夫の提案により、就寝中の寝室や普段の生活などをビデオカメラで逐一撮影し、その正体をつきとめようとする話を、その映像だけで綴ったフェイクドキュメンタリー(モキュメンタリーとも言う)の形をとって描いている。制作者側の意図をとやかく非難することはできないが、ワンシーンごとに手持ちのカメラで延々撮影する手法は、通常の劇映画で行われるカメラ位置の設定やカット割りなどをあまり必要としない分手っ取り早い。だからといって何の苦労もないわけではないが、足かけ5年もかけて作ったという『死霊のはらわた』の苦労に比べれば天と地の差がある。

 名前は忘れたが、ある映画プロデューサーの講演会で聞いた話である。飛行場に停められた旅客機の映像がある。飛行機マニア以外の人には別段目を引かない映像だが、これに「この旅客機はハイジャックされています」というテロップを入れると、とたんにほとんどの人は杭付けになる。「この先、何かが起こる(かもしれない)」ことを暗に伝え、見ている人の興味を引かせるわけだ。この作用を利用して映画は夫婦のどうでもいい生活や、ありとあらゆる揉め事などをダラダラ見せて、この先起こる「何か」をエサに終盤まで引っぱっていく。で、そのエサの正体は怒るのも野暮になるくらいヒドいものだった。いや、正体ではないかあんなものは。どうせ最後の最後に軽くCGでチョチョイとこしらえるんだろうと見る前から予想できたことだし、あんなエサにお金を落とした方々には心からお見舞い申し上げたい。

 本国アメリカでは、上映館数が少ない小規模公開であったものが、評判が評判を呼び、一気に規模が拡大。大ヒットに至ったというのが、公開当時の触れ込みであった。“評判”の元は何なのかという逡巡はせず、触れ込みに引っかかったこの手の映画といえば、やはり『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が思い浮かぶ。海の向こうにある評判など当てにならないことは、あのとき思い知ったはずである。確か、書き込みなどによるネットの力を駆使してヒットに繋げたと記憶している。“評判”といっても名作が名作たり得る時代だった頃とは違うのだ。今回の“評判”も巧妙な何かが働いていたはずで、これが功を奏して続編まで作られる世の中となると嘆かずにはいられない。もういいかげん実体の無い“評判”に抗う術を我々は持つべきだ。そして3度目の試練のときを今迎えているのである。

【No.110】パラノーマル・アクティビティ
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。


Posted by イリー・K at 01:00│Comments(0)【は】
 
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