2011年10月30日
【No.109】猿の惑星 創世記(ジェネシス)
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’11/アメリカ/カラー /106分
監督:ルパート・ワイアット
出演:ジェームズ・フランコ、アンディ・サーキス、フリーダ・ピントー、ジョン・リスゴー、
ブライアン・コックス、トム・フェルトン
SF映画の名作とされる『猿の惑星』が公開されたのは1968年。その後73年まで計5本のシリーズが作られた。当初、シリーズ化を視野に入れていなかったせいかシリーズが進むにつれ、話は強引な展開になっていった。映画のキーパーソンである猿夫婦が人類が繁栄していた頃の過去へタイムスリップし、人類から好奇の目にさらされ、虐げられながらも生まれた子供が成長したのち、人類へ反乱を起こす。このあらすじが第4作『猿の惑星/征服』として描かれているが、現在公開中の『猿の惑星 創世記』はこれにあたる・・・と、完全にリメイクという体で書き進めたら、この監督リメイクではないと言ってるらしいではないか。舞台が違おうが、猿がすべてCGであろうが、オリジナルよりリアル感が増していようが、猿が支配者の人間に反旗を翻すというプロットが共通している点で、すでにオリジナルではないのは明白である(猿の名が同じ「シーザー」だし)。
たまに、誰の目から見てもリメイクだとわかるのに、当の制作者(監督)がリメイクではないと言い張ることがある。既存のものを作り直す「リメイク」ではクリエーターの名に恥じるということか。10年前にティム・バートンも「リ・イマジネーション」とか言ってごまかしていた。作り直し(=リメイク)と再創造(=リ・イマジネーション)では、後者のほうがクリエーターの務めとして上ということなのか。そんなご大層なポリシーを持ち出さなくても映画が面白ければ、リメイクでも良いではないかと私は思うのだが。でもどっちらけに終わったがな、あの映画。
リメイクなのかどうなのか云々はさておき、『猿の惑星 創世記』もティム・バートン版と同じく、オリジナルと比較される宿命を背負って、我々の目に触れることになったわけで、期待以上のものは感じられなかった。反抗心から芽生えたリーダーシップによって仲間たち(猿)を奮い立たせ、銃を手に人間たちに立ち向かって行くオリジナル版のシーザーがどうしても頭にあるものだから、それに至るまでどのような展開を見せるのか、映画に対する大きな期待はそこにかかっていた。
先でも言ったように本作の猿はフルCG(シーザーは、れっきとした俳優が画面上で“猿”として反映できるボディスーツを着て演じる「モーションキャプチャー」なる技術を用いている。その他、大勢の猿たちも同様かは不明)で姿かたちから動きまで実にリアルにできている。俳優が顔にメイクを施して猿っぽい動きをしているだけのオリジナル版が笑えるほどである。それだけに反乱に至るプロセスもリアルに見える。最初からベラベラ喋るシーザーにウホウホと猿たちが応えるようなアホさ加減はない。だが、そのリアルさゆえに、ただただ納得するだけの自分がいた。劇中に登場する新薬など実在しないし、あんな事態は起こりえないけど、そうかもしれないねと序盤へ向けて盛り上げようとする映画に反して、ボルテージが上がることもなくスクリーンを正視するだけだった。旧作では核戦争だった人類滅亡の原因が差し替えられているのにも納得。キューバ危機の記憶も新しいあの頃とは違うからそっちのほうが今の時代にはリアリティがある。教養的な要素を抜いた「ディスカバリーチャンネル」を見てるような気分である。
ただ、納得いかないのは映画のスポットCMである。納得しまくったあと、家に帰ってたまたま点けたテレビで目にしたのだが、「マイベストムービーです」には我が耳を疑った。一過性のもんだから映画会社(日本支部)は好き勝手に作ったんだろうが、いくら旬の人である澤選手でも言わせちゃいけないことがあるだろう。『GOAL!』や『勝利への脱出』(古すぎる)とかならわかるが、これをベストムービーにしてしまったら、今後のイメージを左右しかねない。どんなにサッカープレーヤーとして輝かしい功績を残しても。サッカーにさらさら興味が無い人には「でも、この人の生涯最高の映画は『猿の惑星』」というイメージが付いてまわるかもしれない。お節介ながら澤選手の今後がちょっと心配だ。
評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
Posted by イリー・K at 20:42│Comments(0)
│【さ】