【No.172】グランド・マスター

イリー・K

2015年04月30日 23:52



’13/香港・中国/カラー/123分
監督・脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン チャン・ツィイー チャン・チェン マックス・チャン
 私と同様だった同志が他にもいることを信じ、恥を忍んで申し上げるが、中国人というのは現実でもみんなカンフー映画のようなアクロバティックあふれる喧嘩をするものと信じて疑わなかった。世間も何も知らないヤワなガキの頃の目にはそう映った男性諸氏は間違いなくブルース・リーからジャッキー・チェン世代である。喧嘩が起こるところ座椅子や机は消耗品と化すなどというのはとんでもない誤解であったのが思春期の頃からうすうすわかってくる。あれは映画の中の特殊な世界であって広義的に見れば一種の伝統芸能のようなものであると。こうして氷解していくと同時にわかってくるのが中国人俳優(ここでは香港や台湾など中国語圏に属するものとする)もみなカンフーができるわけではないということである。

 中国系の映画には非・カンフー映画もたくさんあるわけで、それを配給していたのが東京都内や主要都市でしかかからないミニシアター系の会社で、私が住んでいる沖縄やその他地方でも観られる映画を配給していた東宝東和や東映、日本ヘラルドなどはカンフー映画ばっかりを配給したんでそれが誤認を招く一因にもなったわけだが、私が初めて認識した非・カンフー映画はあの『男たちの挽歌』(日本ヘラルド配給)であった。しかし「カンフーならざるものは香港映画にあらず」的な価値がすっかり根付いていた小3の私は観ることはなかった(そしてなんといまだに見ていない。ハリウッド進出後のジョン・ウーはほとんど見てるのに)。主演のチョウ・ユンファはカンフーをしない(できない?)スターとして覚えたし、後続としてアラン・タム、レスリー・チャン、アンディ・ラウなどが登場し、日本の隅々にまで非・カンフー映画が流通されるようになった。

 カンフーばかりが中国系映画ではないことを浸透させた立役者の一人がいまやハリウッドにも進出した世界的巨匠とされるウォン・カーウァイである。一昨年公開されているがいまのところ最新作になるのがカンフー映画『グランド・マスター』だった。しかし主演に据えたのはカンフーができない香港スター、トニー・レオン。香港出身監督ならカンフーの一本でも撮らねばという自負でもあったのだろうか、いくら常連とはいえ非・カンフー俳優が出ているカンフー映画とはどういうことなのか。

 CSで本作を鑑賞したのだが事前紹介番組でナビゲーターを務めていた小堺一機と隣りのわけわからん女が揃って劇中のカンフーについては「今までのカンフー映画には無かった綺麗さ」と賞賛していた。初期の頃からコンビを組んでいたクリストファー・ドイルによる手持ちカメラの映像美で定評があるカーウァイだけあって2人の賞賛に偽りは無い(本作の撮影はドイルではないのだが)。闇夜に打ち付ける雨のなか、トニー対数十人の格闘シーンは、雨の激しさとトニーが確実に一人一人をぶちのめしていく壮絶さとのコントラストが際立っている。しかしどうにも拭えないこの既視感、なんだコレ『マトリックス』まんまじゃないの。それもそのはずアクション指導が同じウエン・ウーピンによるものであるから。カンフーシーンといえばもうひとつ、今度は雪を降らせて駅のホームにてチャン・ツィイーと敵対する相手との決闘である。停車していた列車が発車しだすのと同時に決闘スタート。段々と加速していく列車のすぐそばで息詰まるような格闘が繰り広げられること4、5分。一体何両あるんだろう。ずいぶんと長い列車である。

 と、このように情緒感はたっぷりな反面ツッコミポイントを残すカンフーシーン、先述の2人は賞賛にとどめていたが、さらに言葉を付け加えるとしたら「だけど見応えが無い」であろう。トニー・レオンは本作の撮影にあたって数年間特訓をし、実際撮影現場でも骨折や雨のシーンで気管支炎になり病院に担ぎ込まれるなどの苦労も耐えなかったという。しかしそんなトニーの役者魂が発揮した成果を形無しにするほど撮影手法に難ありと言わざるを得ない。バストショットやアップを多用し、これが重要なのだがスローもやたら多いのだ。膝や拳が顔面に入った瞬間にスローになるとか。カンフーの要は何よりスピード感であるのにせっかく演者がこなしていてもこれでは「殺す」も同然じゃないのか。

 日本が中国に侵攻した頃を時代背景に様々な流派に別れるカンフーの達人たちの半生を描いた歴史劇的な趣が強い内容なのでたぶん描かれたカンフーは添え物として考えたのかもしれない。いずれにしても隔靴掻痒の感は否めない一作であった。

評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。
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