【No.159】ゴジラ対ヘドラ

イリー・K

2014年10月25日 23:58



’71/日本/カラー/85分
監督:坂野義光
出演:山内明 川瀬裕之 木村俊恵 麻里圭子 柴本俊夫


 再びリメイクされたハリウッド版が公開されたのも記憶に新しいゴジラ。日本が世界に誇る怪獣王になるまでの軌跡には1954(昭和29)年の誕生以来、東宝が怪獣映画というジャンルを全世界において開拓し続けた一大帝国が広がっている。こうして半世紀の長きに渡り生まれた数々のゴジラ映画は人々にとって印象に残っているものは世代によって違ってくるだろう。核の副産物として人類の脅威であったゴジラ、若大将(加山雄三)のマネをして人類に媚びる気満々のゴジラ、モスラやキングギドラなどの敵対怪獣、ザ・ピーナッツの妖精や情けない容姿のミニラなどのサブキャラを挙げる人だっているだろう。そのなかでヘドラを挙げる人は一体どれくらいいるのだろうか。今回取り上げる『ゴジラ対ヘドラ』は第11作目にあたり、全作鑑賞を制覇していない私が見たなかではかなり異質になっており、東宝が築き上げたゴジラ帝国の中でもアナーキズムあふれる一作に仕上がっている。さすが、町山智浩が映画評論家に開眼するきっかけになっただけのことはある。

 アナーキズムと敢えて誤った使い方をしているが、「反骨」とか「批判精神」にかけてはシリーズ中最も第一作に肉迫しており、それだけに留まらず、完全なる子供向けの絵空事にシフトチェンジしていたゴジラ映画シリーズの流れにも一石を投じるような姿勢はアナーキーという表現がしっくりくる。他作に比べ抜きん出ている批判精神の矛先は当時社会を騒がせていた公害問題である。工場が密集する駿河湾に流れ出た廃液まじりのヘドロから生まれたのが本作でゴジラの宿敵となるヘドラ。ドロドロに溶けかけたアイスクリームに目ん玉をくっつけたみたいなこれまたシリーズ史上異質、というか稀に見る工夫のあとがみられない造型からは想像つかない恐ろしさを持った怪物で、タンカーの石油や工場から立ち上がる煙や流れ出る廃液を栄養源にみるみる成長して行く。水中を泳ぐ「水中期」、歩行が可能になり陸に這い上がる「陸上期」、そして飛行が可能になる「空中期」と進化を遂げ、飛行中は硫酸ミストと化した排泄物をまき散らしながら付近住民一帯を飛び回るのである。飛び去ったあとに残るのは錆び付いた金属と白骨化した死体の山。上空を飛行されたらひとたまりも無い。

 人々への苦しめ方も異質な怪物にゴジラは立ち向かって行くのだがヘドラの身体はほぼ液体のため変幻自在。現在のCG技術なら『ターミネーター2』のT-1000みたくいろんな形に変貌できようが、着ぐるみ特撮が主流の当時は限界が見えるのは致し方ないところだが、あらゆる技を繰り出しても歯が立たずゴジラは苦戦を強いられる。

 シリーズ屈指の難敵にすることを通じ公害問題の深刻さを表現しようということだが主題歌でもそれを訴えかける。映画のオープニングからこれぞ70年代というビジュアルイメージで流される「かえせ!太陽を」は潔いほど単純かつストレートな歌詞でなんとも言いようが無い中毒性を持っている。今こうして書いている間も脳内ではメロディが流れっぱなしだ。

 ゴジラ映画らしからぬオープニングといい、難敵らしからぬ単純なヘドラの造型といい他とは異質なところは随所に見られるが、怪獣らを除く登場人物たちはえらく呑気である。いや、これに限らず従来の怪獣映画って怪獣たちが戦っているそばで踏みつぶされるかもしれない危険な場所でも傍観しているという危機感がない呑気がつきまとうが、本作ではそれに輪をかけて呑気だ。いつどこで飛来するかしれない危険生物の恐怖にさらされているのに「100万人ゴーゴーしようぜ!」とか言って若者たちがキャンプファイヤーするし、ヘドラに襲われ病床に伏している博士が布団被ったまま最終決戦地に見物しに来るし。あとケチをつけるつもりはないんだがこの博士がぜんっぜん博士っぽくない。他のシリーズに登場する博士って研究所を構えていて生活臭が全くしないんだが本作は自宅が研究所と兼用で登場するシーンを見ると研究所というより書斎である。助手も持っていないようで主人公に当たる息子の少年が助手がわりだ。

 ゴジラ映画と言えばゴジラを始めとした怪獣たちが起こす“獣災”に駆けつける自衛隊が無くてはならない存在となっているが、「ここまできたかぁ」と思わざるをえないシーンがあった。これには声を出して笑ってしまったが、研究を重ねてヘドラ撃退の糸口を見つけた博士は逡巡する間も無く「よし!自衛隊に電話を」と言って淡々と撃退装置を作るよう要請していた。何という手軽さなんだろう。出前とるんじゃないんだから。「もしもし、自衛隊ですか?」って言ってたし。

 すべてが好転しているとは言いがたいが、何もかも異質づくしでほとばしるアナーキズム、その頂点は最終決戦シーンでゴジラを飛行させるに至る。これはプロデューサーには無許可で撮影されたそうで、当然ながら逆鱗に降れ、これがデビュー作だった坂野義光監督はその後は劇映画から遠ざかることに。果敢に挑み、はかなく散る。これぞアナーキーの本分と言えよう。


評価は…
☆ おもしろい ○まあまあ △つまらない ×クズ
の4段階評価です。

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